おはようございます。☺️🌴😉
今日、7月28日(火曜日)の戸田市の天気は曇り時々雨。最高気温が14時に29度が予報されています。突然雷を伴う雨が降ることも。
今日、7月28日(火曜日)の戸田市の天気は曇り時々雨。最高気温が14時に29度が予報されています。突然雷を伴う雨が降ることも。
まだ梅雨が終わりきらず、蒸し蒸しした一日になりそうです。体調を崩しやすいので、休息をしっかりとってください。また食中毒にお気をつけください。
さて、今日も仕事のある平日ですが、土曜日から続けている「中華人民共和国内モンゴル自治区に植林ボランティアに出掛けた話」の続きを書くことをお許しください。とりあえず今日で第一部終了といたします。
昨日は、モンゴル民族のお祭り(ナーダム)を参観したお話を書きました。今日はその翌日の話です。
作業を終えて、宿舎に戻った後、夕食までの時間がまた少しあったので、せっかくだから沙漠の見学にいこうという話になりました。
本部もバスを出してくれることになって、参加希望者が募られて、私も参加しました。
今回の植林ボランティアは地域の沙漠化を食い止めるために行ってるもので、実際に沙漠は街のそばまで迫っていたのです。
私は鳥取砂丘に行ったことはあるものの、沙漠は初めてでした。
バスに揺られてついた沙漠は、それはもう当たり前ですが、鳥取砂丘の比ではありません。広い、ただただ広い。しかもあちこちに砂山があるのです。
その砂山に登ると、視界の先には果てしなく沙漠が広がっていました。生存環境として考えると砂漠は生物にとって厳しいところですが、見るだけなら広い空と果てしなく広がる砂しか見えない沙漠の景色は美しいものでした。
そんな時です。
さて、今日も仕事のある平日ですが、土曜日から続けている「中華人民共和国内モンゴル自治区に植林ボランティアに出掛けた話」の続きを書くことをお許しください。とりあえず今日で第一部終了といたします。
昨日は、モンゴル民族のお祭り(ナーダム)を参観したお話を書きました。今日はその翌日の話です。
作業を終えて、宿舎に戻った後、夕食までの時間がまた少しあったので、せっかくだから沙漠の見学にいこうという話になりました。
本部もバスを出してくれることになって、参加希望者が募られて、私も参加しました。
今回の植林ボランティアは地域の沙漠化を食い止めるために行ってるもので、実際に沙漠は街のそばまで迫っていたのです。
私は鳥取砂丘に行ったことはあるものの、沙漠は初めてでした。
バスに揺られてついた沙漠は、それはもう当たり前ですが、鳥取砂丘の比ではありません。広い、ただただ広い。しかもあちこちに砂山があるのです。
その砂山に登ると、視界の先には果てしなく沙漠が広がっていました。生存環境として考えると砂漠は生物にとって厳しいところですが、見るだけなら広い空と果てしなく広がる砂しか見えない沙漠の景色は美しいものでした。
そんな時です。
しばらく離れた場所にいたひとりが「かばんをどこに置いたかわからなくなった!」と騒ぎ出しました。
常識ではありえないのですが、かばんをどこかに置いて、砂山に登ったらしいのです。そのまま戻ればよかったのに、またそこから移動してしまい、もとの場所がどこだかわからなくなったということでした。
しかも、その中にはパスポートもいれてある。
沙漠の美しさを味わう時間は突然終わり、皆で大捜索が始まりました。
沙漠というと平地に砂が広がっている光景をイメージしがちですが、実際は砂が風に吹かれて、あちこちに先ほど書いたような砂山ができているのです。
そして、恐ろしいことに、沙漠では砂山からくぼみに降りると、周りは砂山だらけで、砂山に遮られて太陽の場所もわからなってしまい、自分が向いているのがどちらの方向かまったくわからなくなるのです。
また、砂山に登っても、皆が砂山の頂上に登っていればその姿をみることができますが、山の反対側の斜面だとまったく見えなくなります。へたに動くともとの場所がどこかわからなくなって、今度は自分が遭難してしまいます。
しかも、夕刻でしたので、日はどんどん傾いていきました。
結局、これ以上沙漠にいると迷子になってしまう危険がでてきたので、かばんの捜索は打ち切り、地平線に沈むお日様の位置を確認しながらなんとかもとの場所に戻り、バスで宿舎に戻りました。
かばんは本部が現地の方に連絡して、別途探してくれることになりました(結果、2日後に現地の方が見つけてくれました)。
この捜索には、地元のモンゴル人の方々も関わってくれましたが、かばんをその辺りに置きっ放しにして移動するなんてあり得ないという意見でした。当然です。日本とは違うのです。ましてや沙漠。
もっとも、その人はちょっと注意が足りない若者で、事前説明で「アイスに入っている菌は地元の人には耐性があっても、日本人には耐性がないから絶対に食べてはいけない」と言われていたのを聞いていなかったのか、カバンを探すのを手伝ってくれた皆にお礼がしたいと地元の商店に行ってアイスキャンデーを買って食べてしまい、結果、腹痛・下痢・発熱・脱水症状を起こして、救急車で病院のある他の街に運ばれてしまい、私たちがクリンキから引き上げる日まで入院するはめになりました。
ところで、そんなこともあった植林ボランティアでしたが、あっという間に日本に帰る日が来ました。
現地では、地元のモンゴル人たちと仲良くなりましたが、たとえば、内モンゴル自治区のこの地区であってもお金を得ることができる商業などはほとんど漢民族が握っているとか、中国共産党が絶対的な力を有しているとか、今の境遇から抜け出すことができるかもしれない唯一の方法は日本語を勉強して日本に留学することだと、日本からの植林ボランティアの人たちと交流を持ったことで皆が思うようになっているとか(留学費用は高額だけど)、そんな話をこっそり教えてくれました。
内モンゴルの人たちはとても貧しい境遇で、政治的にも圧迫を受けている暮らしであると感じましたが、そんな中でも、家族の絆をとても大切にしていること、そして子ども達は夢を語り、希望をもっていたことに救われました。
あれから24年経ちますが、申し訳ないことに、私自身はその後、あの時の子ども達が今どうしているかは知りません。
その後、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区で行われていることや香港で行われていることを考えると、中国共産党にとってその地政学的な価値は違うものの、あの内モンゴルの方々がどのような状況に置かれているのか気になります。
報道によると、今月になって、内モンゴル自治区で教育現場におけるモンゴル語の使用が禁止され、中国語だけが許されるという流れになって抗議活動が広がっているそうです。そのニュースに接して、24年前に感じたある種の息苦しさが甦ってきました。
私は個人的には中国人の友達もおりますし、尊敬する方や親しくする方もおります。
中華人民共和国には6年前も行き、その時はその時でまた別の驚きがあったわけですが、今、政治家の一人として、国と国の関係や、正しさの価値が異なる政治体制の違いの中で、自分がどう考え、振る舞うことが大切なのかを、ずっと考えております。
いずれまた、世間が休みの日に、今回書き切れなかった話やその後行った中国の話、韓国や台湾、アメリカやカナダの話なども報告したいと思います。
すみません、その時は、またお付き合いください。
ここまで長文をお読みくださいまして、ありがとうございます。
今日も心明るく快活に! ☘️
そしてできれば周りの方に優しさのお裾分けを。
引き続き、医療従事者の方々やライフラインを守ってくださる方々に、敬意と感謝の気持ちをお願いします。🥰
お困りの時はご相談ください。
大丈夫。市議会議員が力になります。💪
道は必ず開けます!✨✨
今日が、皆様にとって素敵な一日になりますように。
本日もよろしくお願いいたします。😊😄😉
★これまでの「朝のご挨拶」一覧
http://blog.todakouen.jp/archives/cat_10036576.html
(写真は、ご近所さんの道に面した軒先の鉢植えに咲く「シモツケ」です)

常識ではありえないのですが、かばんをどこかに置いて、砂山に登ったらしいのです。そのまま戻ればよかったのに、またそこから移動してしまい、もとの場所がどこだかわからなくなったということでした。
しかも、その中にはパスポートもいれてある。
沙漠の美しさを味わう時間は突然終わり、皆で大捜索が始まりました。
沙漠というと平地に砂が広がっている光景をイメージしがちですが、実際は砂が風に吹かれて、あちこちに先ほど書いたような砂山ができているのです。
そして、恐ろしいことに、沙漠では砂山からくぼみに降りると、周りは砂山だらけで、砂山に遮られて太陽の場所もわからなってしまい、自分が向いているのがどちらの方向かまったくわからなくなるのです。
また、砂山に登っても、皆が砂山の頂上に登っていればその姿をみることができますが、山の反対側の斜面だとまったく見えなくなります。へたに動くともとの場所がどこかわからなくなって、今度は自分が遭難してしまいます。
しかも、夕刻でしたので、日はどんどん傾いていきました。
結局、これ以上沙漠にいると迷子になってしまう危険がでてきたので、かばんの捜索は打ち切り、地平線に沈むお日様の位置を確認しながらなんとかもとの場所に戻り、バスで宿舎に戻りました。
かばんは本部が現地の方に連絡して、別途探してくれることになりました(結果、2日後に現地の方が見つけてくれました)。
この捜索には、地元のモンゴル人の方々も関わってくれましたが、かばんをその辺りに置きっ放しにして移動するなんてあり得ないという意見でした。当然です。日本とは違うのです。ましてや沙漠。
もっとも、その人はちょっと注意が足りない若者で、事前説明で「アイスに入っている菌は地元の人には耐性があっても、日本人には耐性がないから絶対に食べてはいけない」と言われていたのを聞いていなかったのか、カバンを探すのを手伝ってくれた皆にお礼がしたいと地元の商店に行ってアイスキャンデーを買って食べてしまい、結果、腹痛・下痢・発熱・脱水症状を起こして、救急車で病院のある他の街に運ばれてしまい、私たちがクリンキから引き上げる日まで入院するはめになりました。
ところで、そんなこともあった植林ボランティアでしたが、あっという間に日本に帰る日が来ました。
現地では、地元のモンゴル人たちと仲良くなりましたが、たとえば、内モンゴル自治区のこの地区であってもお金を得ることができる商業などはほとんど漢民族が握っているとか、中国共産党が絶対的な力を有しているとか、今の境遇から抜け出すことができるかもしれない唯一の方法は日本語を勉強して日本に留学することだと、日本からの植林ボランティアの人たちと交流を持ったことで皆が思うようになっているとか(留学費用は高額だけど)、そんな話をこっそり教えてくれました。
内モンゴルの人たちはとても貧しい境遇で、政治的にも圧迫を受けている暮らしであると感じましたが、そんな中でも、家族の絆をとても大切にしていること、そして子ども達は夢を語り、希望をもっていたことに救われました。
あれから24年経ちますが、申し訳ないことに、私自身はその後、あの時の子ども達が今どうしているかは知りません。
その後、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区で行われていることや香港で行われていることを考えると、中国共産党にとってその地政学的な価値は違うものの、あの内モンゴルの方々がどのような状況に置かれているのか気になります。
報道によると、今月になって、内モンゴル自治区で教育現場におけるモンゴル語の使用が禁止され、中国語だけが許されるという流れになって抗議活動が広がっているそうです。そのニュースに接して、24年前に感じたある種の息苦しさが甦ってきました。
私は個人的には中国人の友達もおりますし、尊敬する方や親しくする方もおります。
中華人民共和国には6年前も行き、その時はその時でまた別の驚きがあったわけですが、今、政治家の一人として、国と国の関係や、正しさの価値が異なる政治体制の違いの中で、自分がどう考え、振る舞うことが大切なのかを、ずっと考えております。
いずれまた、世間が休みの日に、今回書き切れなかった話やその後行った中国の話、韓国や台湾、アメリカやカナダの話なども報告したいと思います。
すみません、その時は、またお付き合いください。
ここまで長文をお読みくださいまして、ありがとうございます。
今日も心明るく快活に! ☘️
そしてできれば周りの方に優しさのお裾分けを。
引き続き、医療従事者の方々やライフラインを守ってくださる方々に、敬意と感謝の気持ちをお願いします。🥰
お困りの時はご相談ください。
大丈夫。市議会議員が力になります。💪
道は必ず開けます!✨✨
今日が、皆様にとって素敵な一日になりますように。
本日もよろしくお願いいたします。😊😄😉
★これまでの「朝のご挨拶」一覧
http://blog.todakouen.jp/archives/cat_10036576.html
(写真は、ご近所さんの道に面した軒先の鉢植えに咲く「シモツケ」です)


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