日本が平和になって69年目となりました。
今日の日本の平和と繁栄は、大東亜戦争、いわゆる先の大戦で尊い命を捧げられた方々のおかげです。本日に限ったことではありませんが、先人の方々に感謝申し上げるとともに今の世を担う責任を感じています。
私が30歳の時、左足首を脱臼骨折して3ヶ月入院したことがあります。その時、隣のベットにおられたのが、先の戦争末期に学徒出陣された方でした。骨折入院では手術後は比較的元気で、話す時間もかなりありました。その時にその方から当時の話を伺いました。
学徒出陣されて直ぐに南方に出陣されたそうです。輸送船に乗り込んだのはいいけれど、初年兵の割り当ては船の中でも一番暑苦しい最下層。その方はある夜どうしても暑苦しくて寝られず、もよおしてきたこともあって最下層から甲板にあがり、海に向かって小用を足していたそうです。海上に月明かりが美しい夜だったそうですが、向こうから白い航跡がシュルシュルと近づいてくるのが見え、その次に気がついたのは海に投げ出された時だったそうです。
魚雷攻撃を受けたのです。乗っていた船はあっと言う間に沈没し、その船の乗員で助かったのは、その方だけでした。友軍の駆逐艦に助けられたそうです。
そして終戦。
一緒に船に乗っていた友人たちは皆死んだ。皆の分まで私はがんばって生きよう、日本のために頑張ろうと誓った、とその方は語られていました。
その方のお見舞いには多くのお孫さんが来られていました。幸せな笑顔が溢れていました。
先の大戦だけ、日本だけに限りませんが、今日は先人の方々の生と死の上にあるものです。
身近なところでの幸せの笑顔をつくりだすことも、地域の笑顔、世界の笑顔を生み出すのも等しく私たちに託されたことだと思います。
今日は心にそれを記す日とひとつ。
合掌。感謝。そして改めて誓います。
今日の日本の平和と繁栄は、大東亜戦争、いわゆる先の大戦で尊い命を捧げられた方々のおかげです。本日に限ったことではありませんが、先人の方々に感謝申し上げるとともに今の世を担う責任を感じています。
私が30歳の時、左足首を脱臼骨折して3ヶ月入院したことがあります。その時、隣のベットにおられたのが、先の戦争末期に学徒出陣された方でした。骨折入院では手術後は比較的元気で、話す時間もかなりありました。その時にその方から当時の話を伺いました。
学徒出陣されて直ぐに南方に出陣されたそうです。輸送船に乗り込んだのはいいけれど、初年兵の割り当ては船の中でも一番暑苦しい最下層。その方はある夜どうしても暑苦しくて寝られず、もよおしてきたこともあって最下層から甲板にあがり、海に向かって小用を足していたそうです。海上に月明かりが美しい夜だったそうですが、向こうから白い航跡がシュルシュルと近づいてくるのが見え、その次に気がついたのは海に投げ出された時だったそうです。
魚雷攻撃を受けたのです。乗っていた船はあっと言う間に沈没し、その船の乗員で助かったのは、その方だけでした。友軍の駆逐艦に助けられたそうです。
そして終戦。
一緒に船に乗っていた友人たちは皆死んだ。皆の分まで私はがんばって生きよう、日本のために頑張ろうと誓った、とその方は語られていました。
その方のお見舞いには多くのお孫さんが来られていました。幸せな笑顔が溢れていました。
先の大戦だけ、日本だけに限りませんが、今日は先人の方々の生と死の上にあるものです。
身近なところでの幸せの笑顔をつくりだすことも、地域の笑顔、世界の笑顔を生み出すのも等しく私たちに託されたことだと思います。
今日は心にそれを記す日とひとつ。
合掌。感謝。そして改めて誓います。
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