今日は新聞休刊日でしたが、昨日の埼玉新聞に微笑ましい記事が掲載されていました。
蕨・戸田地区警察官友の会の会長でもある戸田中央総合病院の中村隆俊会長が企画され、これまで11回開催された蕨警察署の男性警察官と戸田中央総合病院の看護師ら女性職員との交流会の記事でした。
警察官も看護師さんもかなり忙しい職務。この粋な計らいで誕生したカップルは6組だそうです。
戸田市に関連してこのような「人を大切にし幸せをつくる」記事を目にすると、うれしくなります。
・・・ とはいえ、私にとっても他人事ではありませんが。(^_^;)

(埼玉新聞 2013年8月11日)
仕事が忙しくて婚活もままならない蕨署の男性警察官と戸田中央総合病院の看護師ら女性職員に出会いの場を提供しようと、「蕨・戸田地区警察官友の会」(会長・中村隆俊戸田中央総合病院会長)は、「交流会」を戸田市上戸田の戸田市文化会館で開いた。
同交流会は2010年から年2回開催しており、7月で11回目。これまで6組のカップルが誕生し、まずまずの成果をあげている。
7月の交流会では、同署から熊谷広志副署長、友の会から八木橋實副会長らも姿を見せたが、冒頭であいさつを済ませると「お邪魔でしょうから」と退席。あとは、室内から笑い声が聞こえ、和気あいあいのムードに。
幹事役の看護師、角田彩子さんは「良い人が見つかるように祈ってます」。男性陣の幹事、蕨署警務課勤務の佐藤将さんも「みんな忙しくて出会いの場がない。なんとかしたい」と話していた。
○取り残される
交流会の第1回は09年5月。男性18人、女性10人が参加した。その中に英則さんがいた。「ボーリング大会が終わった後にどこ かへ行くのかと思ったら、仕切っていた女性がタクシーを3台呼び、女性陣はさっさと帰ってしまった」(英則さん)。要領の悪い英則さんらは取り残されてしまった。
10年2月の第3回。席替えをして、幹事が「隣の人と携帯電話のメールアドレスを交換してください」。英則さんの隣にいたのが綾子さん。
「あの時は皆、話ができないまま、ただ食べているだけ。とにかくメール交換だけはした」(綾子さん)
○「お元気ですか」
1カ月後、綾子さんの携帯にメールが入った。「お元気ですか」。英則さんからだったが「もう顔を忘れてました」(綾子さん)。
さらに1カ月ほどして、再び英則さんからメール。「よかったら会いませんか」。2人は大宮駅の豆の木の下で初のデート。しかしそれっきりだった。
長いブランクがあった。そして11年3月11日の東日本大震災。4月、英則さんからメールがきた。「被災地の支援に行きます」。綾子さんはメールを返した。「がんばってください」。これをきっかけに2人は会うようになった。
○東日本大震災
英則さんが被災地から帰って、2人は再会。しかし、綾子さんは心臓病などの重病患者が入る集中治療室勤務。お互い仕事は忙しい。月に1度ぐらいしか会えなかった。
今年5月25日、2人は大宮駅の近くで結婚式を挙げた。綾子さんは英則さんを選んだ理由について「不器用だけど真面目で優しい。その人柄が分かったから」と言う。
英則さんは蕨署から県警交通機動隊に転属。相変わらず忙しい。2人がともに過ごせる休日は月に1度か2度。しかし「家に帰るとご飯がある。人がいるのも幸せです」と話す。
交流会は友の会の中村会長が「出会いの場を提供したい」として続けてきた。
「私たちが結ばれたことを聞いて中村会長は『良かったね、良かったね』と泣いて喜んでくれた。会長には感謝してます」と綾子さんは話した。
蕨・戸田地区警察官友の会の会長でもある戸田中央総合病院の中村隆俊会長が企画され、これまで11回開催された蕨警察署の男性警察官と戸田中央総合病院の看護師ら女性職員との交流会の記事でした。
警察官も看護師さんもかなり忙しい職務。この粋な計らいで誕生したカップルは6組だそうです。
戸田市に関連してこのような「人を大切にし幸せをつくる」記事を目にすると、うれしくなります。
・・・ とはいえ、私にとっても他人事ではありませんが。(^_^;)

(埼玉新聞 2013年8月11日)
「いい人見つけたい」蕨署員と戸田の看護師が交流会
11回で6組誕生
11回で6組誕生
仕事が忙しくて婚活もままならない蕨署の男性警察官と戸田中央総合病院の看護師ら女性職員に出会いの場を提供しようと、「蕨・戸田地区警察官友の会」(会長・中村隆俊戸田中央総合病院会長)は、「交流会」を戸田市上戸田の戸田市文化会館で開いた。
(岸鉄夫)
同交流会は2010年から年2回開催しており、7月で11回目。これまで6組のカップルが誕生し、まずまずの成果をあげている。
7月の交流会では、同署から熊谷広志副署長、友の会から八木橋實副会長らも姿を見せたが、冒頭であいさつを済ませると「お邪魔でしょうから」と退席。あとは、室内から笑い声が聞こえ、和気あいあいのムードに。
幹事役の看護師、角田彩子さんは「良い人が見つかるように祈ってます」。男性陣の幹事、蕨署警務課勤務の佐藤将さんも「みんな忙しくて出会いの場がない。なんとかしたい」と話していた。
○取り残される
交流会の第1回は09年5月。男性18人、女性10人が参加した。その中に英則さんがいた。「ボーリング大会が終わった後にどこ かへ行くのかと思ったら、仕切っていた女性がタクシーを3台呼び、女性陣はさっさと帰ってしまった」(英則さん)。要領の悪い英則さんらは取り残されてしまった。
10年2月の第3回。席替えをして、幹事が「隣の人と携帯電話のメールアドレスを交換してください」。英則さんの隣にいたのが綾子さん。
「あの時は皆、話ができないまま、ただ食べているだけ。とにかくメール交換だけはした」(綾子さん)
○「お元気ですか」
1カ月後、綾子さんの携帯にメールが入った。「お元気ですか」。英則さんからだったが「もう顔を忘れてました」(綾子さん)。
さらに1カ月ほどして、再び英則さんからメール。「よかったら会いませんか」。2人は大宮駅の豆の木の下で初のデート。しかしそれっきりだった。
長いブランクがあった。そして11年3月11日の東日本大震災。4月、英則さんからメールがきた。「被災地の支援に行きます」。綾子さんはメールを返した。「がんばってください」。これをきっかけに2人は会うようになった。
○東日本大震災
英則さんが被災地から帰って、2人は再会。しかし、綾子さんは心臓病などの重病患者が入る集中治療室勤務。お互い仕事は忙しい。月に1度ぐらいしか会えなかった。
今年5月25日、2人は大宮駅の近くで結婚式を挙げた。綾子さんは英則さんを選んだ理由について「不器用だけど真面目で優しい。その人柄が分かったから」と言う。
英則さんは蕨署から県警交通機動隊に転属。相変わらず忙しい。2人がともに過ごせる休日は月に1度か2度。しかし「家に帰るとご飯がある。人がいるのも幸せです」と話す。
交流会は友の会の中村会長が「出会いの場を提供したい」として続けてきた。
「私たちが結ばれたことを聞いて中村会長は『良かったね、良かったね』と泣いて喜んでくれた。会長には感謝してます」と綾子さんは話した。
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