先日、蕨市立郷土資料館本館にいった時のことです。
奥の展示室には江戸時代の蕨宿のジオラマが展示してあり、本陣を中心に当時どんな家が並んでいたか説明がついていたのですが、それを観た時に「!」と思うことがありました。
まず、中山道に面する蕨宿の家々の中に「百姓」の家があったこと。私は宿場なので旅籠とか商店ばかりかと思っていたのですが(不勉強ですみません)、ちゃんと街道に面する宿場町の中に農家もあったのですね (とはいえ、家の規模も大きかったので庄屋さんでしょうが)。
あと、蕨宿には湯屋(銭湯)が3つありました。ひとつは旅籠と旅籠の間にあり、それはなかなか良い立地だと思いました。
そんな中、私が一番注目したのは、多くの家の職業の紹介に「○○渡世」という言葉が使われていることでした。

渡世といえば渡世人という言葉にあるように、どちらかというと博打打ちのようなイメージを持っていたのですが、改めて辞書で調べてみると「生業とする」という意味が一般的だったのですね。渡世、つまり世を渡るですから、確かにそうなのですが、これが江戸時代の職業紹介で一般的に使われた言葉とは知りませんでした。


そんなところに注目し、ひとつの宿場町にどんな職業があってどのように並んでいたかを観ているとなかなか面白いものがありました。あと、宿ででる食事も記録を元にして再現されていましたが、玄米ご飯に味噌汁、野菜と厚揚げの煮物などで、質素ではあるけれど身体には良い食事のようでした。
この前も書きましたが、戸田市から近いので時間があれば散歩ついでにちょっと出かけられても良いかもしれません。
奥の展示室には江戸時代の蕨宿のジオラマが展示してあり、本陣を中心に当時どんな家が並んでいたか説明がついていたのですが、それを観た時に「!」と思うことがありました。
まず、中山道に面する蕨宿の家々の中に「百姓」の家があったこと。私は宿場なので旅籠とか商店ばかりかと思っていたのですが(不勉強ですみません)、ちゃんと街道に面する宿場町の中に農家もあったのですね (とはいえ、家の規模も大きかったので庄屋さんでしょうが)。
あと、蕨宿には湯屋(銭湯)が3つありました。ひとつは旅籠と旅籠の間にあり、それはなかなか良い立地だと思いました。
そんな中、私が一番注目したのは、多くの家の職業の紹介に「○○渡世」という言葉が使われていることでした。

渡世といえば渡世人という言葉にあるように、どちらかというと博打打ちのようなイメージを持っていたのですが、改めて辞書で調べてみると「生業とする」という意味が一般的だったのですね。渡世、つまり世を渡るですから、確かにそうなのですが、これが江戸時代の職業紹介で一般的に使われた言葉とは知りませんでした。


そんなところに注目し、ひとつの宿場町にどんな職業があってどのように並んでいたかを観ているとなかなか面白いものがありました。あと、宿ででる食事も記録を元にして再現されていましたが、玄米ご飯に味噌汁、野菜と厚揚げの煮物などで、質素ではあるけれど身体には良い食事のようでした。
この前も書きましたが、戸田市から近いので時間があれば散歩ついでにちょっと出かけられても良いかもしれません。
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