個人的な話です。
先日、戸田公園駅でエスカレーターの点検作業が行われていました。


私はパソコンを自作や分解などをするようになってから、何気に機械の分解シーンを見かけるとじーと見てしまうようになりました。
いろいろ部品が並べてあり、またシャフトも色々な大きさがあって、滅多に見る機会がないだけに、埼京線の電車が来るまでの間、上から覗いておりました。

すると視線を感じたのか、作業員の方が上を向かれ目があってしまい、私は慌てて首を引っ込めました。
普段意識することなく使っているものですが、当たり前だけどたくさんの部品から成り立っていてどれが欠けてもうまく動かなくなるわけで、それを考え、創り、発展させてきた人の営みの流れに畏敬の念を感じずにはおれませんでした。
自分の営みはどうなのだろう。何を受け継ぎ、自分なりの新たな何かを付け加え、発展させているだろうか。
つい考えてしまいます。
当たり前と思って関心を持たなくなることは精神の老化。自分が居心地の良い環境を求めるのは良いとして、しかし、居心地の良い環境に居続けると「茹で蛙」になってしまう危険がある。
そんなことをなぜかここ最近、強く感じております
先日、戸田公園駅でエスカレーターの点検作業が行われていました。


私はパソコンを自作や分解などをするようになってから、何気に機械の分解シーンを見かけるとじーと見てしまうようになりました。
いろいろ部品が並べてあり、またシャフトも色々な大きさがあって、滅多に見る機会がないだけに、埼京線の電車が来るまでの間、上から覗いておりました。

すると視線を感じたのか、作業員の方が上を向かれ目があってしまい、私は慌てて首を引っ込めました。
普段意識することなく使っているものですが、当たり前だけどたくさんの部品から成り立っていてどれが欠けてもうまく動かなくなるわけで、それを考え、創り、発展させてきた人の営みの流れに畏敬の念を感じずにはおれませんでした。
自分の営みはどうなのだろう。何を受け継ぎ、自分なりの新たな何かを付け加え、発展させているだろうか。
つい考えてしまいます。
当たり前と思って関心を持たなくなることは精神の老化。自分が居心地の良い環境を求めるのは良いとして、しかし、居心地の良い環境に居続けると「茹で蛙」になってしまう危険がある。
そんなことをなぜかここ最近、強く感じております
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