文部科学省は、4月20日に「福島県の学校利用基準として、大気中の放射線濃度が1時間あたり3.8マイクロシーベルト以上で制限を設ける」と発表しました。モニタリング調査では、すでに13の小中学校で基準以上の数値が出ているとのことです。

で、この1時間あたり3.8マイクロシーベルトという数字はどこから出てきたかというと、「年間20ミリシーベルト以下にする」という数字設定があって、そこから算出した値だそうです。

20ミリシーベルトは
20000マイクロシーベルトのことだから、その数字を365日で割ると、1日あたり54.8マイクロシーベルト、それを子ども達の自宅以外での活動時間を14時間ちょっとと想定して、1時間あたりの値をだすと、これで、1時間あたり3.8マイクロシーベルトという値になります。

・・・ でも、ちょっと待って。

国の基準では、一般市民の線量限度として、大人の場合、年間1ミリシーベルトという値が設定されていたはず。20ミリシーベルトって1ミリシーベルトの20倍ですよ。

しかも、子どもの場合、大人よりも体が小さいけれども甲状腺の大きさは大人も子どもも同じくらいということから、体にしめる甲状腺の割合は子どもの方が大人よりも大きくて放射線被害を受けやすいことや、放射線物質である塵は地表に積もることから背の低い子どもの方が放射線物質を吸い込みやすいから注意すべきと言われてきたではないですか。

一般的に大人の場合、生活の中で受けている放射線(年間2.4ミリシーベルト)の他に、浴びてもよいとされている放射線の量として年間1ミリシーベルトを基準としているのに、福島の子どもについては年間20ミリシーベルトを限度にするなんて
・・・ 「基準」ていったい何ですか?


houshasenryo

housyasen

いろんな数値が発表される度に「ただちに人体に影響がでる値ではない」と言ってきた枝野官房長官ですが、そりゃ「今すぐ・現時点」ではでないでしょう。それでいて記者に質問されると「
今後の見通しについて、私は断定的なことはこの間、申し上げてきていない」と釈明するのは、前官房長官の仙石氏のように「弁護士」として「言葉を操る」能力に長けているのは認めるけれど、国民の生命と財産を託されている政治家なのだから、その能力は言葉を使ってわざと誤認識させるためにでなく、国民の生命と財産を守るために使ってほしいと思います。

枝野氏や現政権の方々は、自分たちの子どもを、文部科学省が設定した「限度」の環境に置いて平気でいられるのでしょうか。私が嫌いなのは「自分や自分の家族は安全な場所に置きながら、美辞麗句をもって他人には困難な状況を強要する権力者」です。

政治家ですから、たしかに国民がパニックになるのは避けたいでしょうし、国際的にも日本の評判を落としたくない、それは当然です。でも、何のためにパニックを避けるのか、それは平常通りの判断力でいたほうが冷静に避難行動をとりやすいからであって、もっと言えば、国民の命を守るためです。

私たちの日常で「手段が目的になってしまう」光景はよく見られることですが、「パニックを避ける」というのは国民の命を守るという目的のための手段であって、パニックを避けるということ自体が目的ではないはず。

放射線の高い濃度が検出される度に基準そのものを高く設定しなおす動き・・・東京電力から出た事態収拾に向けての工程表を実行させるために作業員の被爆量の上限を上げる動きがあるのもそうですが、高く設定し直した「基準」を示されて「安全」と言われても信じられません。その場はしのげても、結局、時間がたつとともに政治不信(政府への不信感)が高まるだけです。

それとも使い古されたような言葉、「大の虫を生かすために小の虫を殺さなければならない。それが政治」とでも思っているのでしょうか。

ただちに人体に影響がでる値でなくても、自分の子どもだったら置いておけないと思う環境なら、福島の子ども達を一時避難させるなど、今のままにしておかない方向に権力をもっている政治家の方はもっていってほしい。

いや、私は最初に書いた福島の子ども達のニュースを聞いて、今まで以上にもやもやというか、やるせない思いでいっぱいになりました。

今までブログにこんな私的な思いはほとんど書いたこと無かったのに。

お見苦しくてすみません。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


(追伸)

京都大学原子炉実験所の小出助教氏への新しいインタビューがYouTubeにアップされておりました。

(福島原発)計画的避難区域 / 再び水素爆発の恐れは?