昨日は大垣青年会議所さんで講演させていただきました。
駅にお迎えの方が来られるのは午後5時半頃。でも、万が一なにか不慮のことでJRが遅れたとしても代替交通手段で間に合うようにと考え、待ち合わせの2時間ほど前に大垣市に入りました。
結局、何事もなく大垣に到着することができたので、いつものようにまちの雰囲気を感じるために、まち歩きをしました。中にはまちを知るために車でまわられる方もおられますが、私はいつも歩くスピードでまちを観ることにしています。人の息づかいやまちの居心地の良さを感じるには歩くスピードで観ることが大切だというのが私の信条です。実際、いろんな発見や気づきがあるのです。
この時間帯にどんな人がどんなところにいるのだろう、また、自分をいろんな立場の人間に置き換えながら、その視点でまちをみるとどう感じるだろう、このまちの特徴は何だろう、もし自分が市長だったら、このまちの強みをどう打ち出すだろうなどと、事前に仕入れた知識も活用しながら考えて歩きます。

こちらはJR大垣駅南出口のロータリーです。昨日は朝から雨が降り続いていました。

まずは駅前から市役所のある南側に向かって続く商店街を散策することにしました。

明るい店内に目立つキャラクター。大きく「飛騨牛」の文字。なかなかそそられる吉田ハムさんです。

歩いていると、また美味しそうな和菓子の写真が!
しかも、どことなく懐かしさを感じる和菓子。
写真では詳しく読めませんが、懐かしさと伝統をもとに生み出された新作和菓子だそうです。これはそそられました!

その看板をだされていたのが、この餅惣さん。木の温もりがいいですね。

こちらは西美濃・大垣産にこだわった農産物を販売しているお店です。以前は別のお店だったようですが、印象的でした。地産地消・身土不二を実践されているお店ですね。誇りを感じます。

「ブラツキ街」なる通りを発見しました。夜の街なのでしょうか。
まだ明るかったので探索は断念です。

途中に「大垣城」がありました。幕末の名家老・小原鉄心は有名です。彼の先取の気風はこの大垣に受け継がれているのでしょう。

大垣城は4層の天守閣。先の大戦の戦災で消失しましたが、地元の方々の熱意が実り、昔の姿で復興されました。美しい城です。

織田信長が美濃攻略を果たすきっかけとなった、斎藤龍興のもとを離れ信長に帰参した西美濃衆のひとり、氏家卜全がもともと城主で、その後、江戸時代には譜代大名の戸田氏が拝領した城です。「戸田氏」ということで、格別の親しみを感じました。

お城の北側を流れる川です。水草があり、ゆったりとした流れに心休まりました。しかし、かつては輪中といわれる地理特性をもつこの大垣市は水害に見舞われ、先ほどの大垣城の石垣の辺りまで水に浸かったことがあるそうです。
春になると桜も咲き、美しい河辺になるだろうなと思いました。

その川の近く「ナンデモヤ」と書かれたシャッターがありました。面白い会社名です。一度聴いたら忘れません。どんな会社だろうかと思いました。

商店街に戻ったら、先ほどの「ナンデモヤ」さんがありました!
日用雑貨を販売しているお店のようでした。たしかにいろんなものを販売されています。店名になるほど!と納得です。

アーケードの最南端まで行ったので、今度は逆に、反対側の通りに渡って、今度は駅のある北側を目指しました。これはお花やさんの前です。道行く人を楽しませようとする心遣いが素敵でした。

高いビルはあまりありません。でもそれがいいんです。ビルの高さが不揃いだと美しい景観になりません。最近は少し変わってきましたが私の生まれ故郷の京都も建物の高さが統一していて、街の落ち着きと美しさを醸し出しています。もちろん、ここは古い建物が多い場所ですが、だからこそ、今後それを活用できる可能性を感じました。


余談ですが、私はまち歩きをする時につとめて地元のスーパーに寄るようにしています。どんなものが売られているか、人気のものは何なのかをチェックいたします。その時に必ずチェックするのが醤油とソースのコーナーです。そこには地元の特色が反映されていることが多いからです。
この大垣市では、ソースのコーナーに「こいくち」がありました。地元の方々にとっては当たり前ですが、私にとっては普段見慣れないだけに(かつて住んで居た関西にも無い!)、目を奪われました。名古屋市のソースメーカー「コーミ」さんの商品が多く陳列されていました。
そのほかにもたくさん特色を感じ、結果として、大垣市の魅力と感じることもできたのですが、それはまた別の機会に報告させていただきます。
まずは昨日撮影した写真の一部の報告でした。
・・・その後、講演は無事終了し、大垣青年会議所の幹部の皆さまの反省会にも参加させていただき、有意義な時間をもつことができました。私は小原鉄心に関心があり、また、親しい友人がこの大垣の出身であることから、以前から大垣市については格別の親しみを感じていましたが、今回の講演をきっかけにより一層大垣市のことが好きになりました。2時間弱のつたない講演でしたが、何か一つでもこの大垣のためになったならば喜びであります。
ありがとうございました。
駅にお迎えの方が来られるのは午後5時半頃。でも、万が一なにか不慮のことでJRが遅れたとしても代替交通手段で間に合うようにと考え、待ち合わせの2時間ほど前に大垣市に入りました。
結局、何事もなく大垣に到着することができたので、いつものようにまちの雰囲気を感じるために、まち歩きをしました。中にはまちを知るために車でまわられる方もおられますが、私はいつも歩くスピードでまちを観ることにしています。人の息づかいやまちの居心地の良さを感じるには歩くスピードで観ることが大切だというのが私の信条です。実際、いろんな発見や気づきがあるのです。
この時間帯にどんな人がどんなところにいるのだろう、また、自分をいろんな立場の人間に置き換えながら、その視点でまちをみるとどう感じるだろう、このまちの特徴は何だろう、もし自分が市長だったら、このまちの強みをどう打ち出すだろうなどと、事前に仕入れた知識も活用しながら考えて歩きます。

こちらはJR大垣駅南出口のロータリーです。昨日は朝から雨が降り続いていました。

まずは駅前から市役所のある南側に向かって続く商店街を散策することにしました。

明るい店内に目立つキャラクター。大きく「飛騨牛」の文字。なかなかそそられる吉田ハムさんです。

歩いていると、また美味しそうな和菓子の写真が!
しかも、どことなく懐かしさを感じる和菓子。
写真では詳しく読めませんが、懐かしさと伝統をもとに生み出された新作和菓子だそうです。これはそそられました!

その看板をだされていたのが、この餅惣さん。木の温もりがいいですね。

こちらは西美濃・大垣産にこだわった農産物を販売しているお店です。以前は別のお店だったようですが、印象的でした。地産地消・身土不二を実践されているお店ですね。誇りを感じます。

「ブラツキ街」なる通りを発見しました。夜の街なのでしょうか。
まだ明るかったので探索は断念です。

途中に「大垣城」がありました。幕末の名家老・小原鉄心は有名です。彼の先取の気風はこの大垣に受け継がれているのでしょう。

大垣城は4層の天守閣。先の大戦の戦災で消失しましたが、地元の方々の熱意が実り、昔の姿で復興されました。美しい城です。

織田信長が美濃攻略を果たすきっかけとなった、斎藤龍興のもとを離れ信長に帰参した西美濃衆のひとり、氏家卜全がもともと城主で、その後、江戸時代には譜代大名の戸田氏が拝領した城です。「戸田氏」ということで、格別の親しみを感じました。

お城の北側を流れる川です。水草があり、ゆったりとした流れに心休まりました。しかし、かつては輪中といわれる地理特性をもつこの大垣市は水害に見舞われ、先ほどの大垣城の石垣の辺りまで水に浸かったことがあるそうです。
春になると桜も咲き、美しい河辺になるだろうなと思いました。

その川の近く「ナンデモヤ」と書かれたシャッターがありました。面白い会社名です。一度聴いたら忘れません。どんな会社だろうかと思いました。

商店街に戻ったら、先ほどの「ナンデモヤ」さんがありました!
日用雑貨を販売しているお店のようでした。たしかにいろんなものを販売されています。店名になるほど!と納得です。

アーケードの最南端まで行ったので、今度は逆に、反対側の通りに渡って、今度は駅のある北側を目指しました。これはお花やさんの前です。道行く人を楽しませようとする心遣いが素敵でした。

高いビルはあまりありません。でもそれがいいんです。ビルの高さが不揃いだと美しい景観になりません。最近は少し変わってきましたが私の生まれ故郷の京都も建物の高さが統一していて、街の落ち着きと美しさを醸し出しています。もちろん、ここは古い建物が多い場所ですが、だからこそ、今後それを活用できる可能性を感じました。


余談ですが、私はまち歩きをする時につとめて地元のスーパーに寄るようにしています。どんなものが売られているか、人気のものは何なのかをチェックいたします。その時に必ずチェックするのが醤油とソースのコーナーです。そこには地元の特色が反映されていることが多いからです。
この大垣市では、ソースのコーナーに「こいくち」がありました。地元の方々にとっては当たり前ですが、私にとっては普段見慣れないだけに(かつて住んで居た関西にも無い!)、目を奪われました。名古屋市のソースメーカー「コーミ」さんの商品が多く陳列されていました。
そのほかにもたくさん特色を感じ、結果として、大垣市の魅力と感じることもできたのですが、それはまた別の機会に報告させていただきます。
まずは昨日撮影した写真の一部の報告でした。
・・・その後、講演は無事終了し、大垣青年会議所の幹部の皆さまの反省会にも参加させていただき、有意義な時間をもつことができました。私は小原鉄心に関心があり、また、親しい友人がこの大垣の出身であることから、以前から大垣市については格別の親しみを感じていましたが、今回の講演をきっかけにより一層大垣市のことが好きになりました。2時間弱のつたない講演でしたが、何か一つでもこの大垣のためになったならば喜びであります。
ありがとうございました。