昨日は、関西大学方言研究会の最初の夏合宿(方言調査)で体験した高知県香我美町(当時)の香我美町営バスのことを書きましたが、今日も大学・大学院生時代を振り返って書いてみます。

夏のお盆が終わった8月後半に行われる7泊8日の方言調査の対象地域は、私が大学1回生の時は昨日の記事に書いた高知県南国市周辺、2回生の時は山口県長門市周辺、3回生の時は長崎県佐世保市周辺になりました(4回生の時は大学院の受験勉強&卒論作成で参加せず)。

3回生の時に佐世保に行った時の話です。佐世保にはいくつかの行き方がありますが、行きはみんなでJRを使って現地入りしました。帰りは現地解散なので自由行動。私はいつも歴史の足跡を辿りながら関西に戻るのを常としていましたが、その時は、私が福岡県で長く暮らして九州にも詳しかったこともあり、九州は初めてというサークルの仲間達を案内しながら大分県別府市に行くことにしましたので、歴史の足跡を辿ることはできませんでした。

その後再び私が九州を訪れたのは3年後でした。大学院の修士論文も書き上げ、教授達を前にした論文審査にも合格して、東京のシンクタンクに就職も決まっていました。

東京に行ったら、なかなか西日本をゆっくり回ることができなくなるかも。

そう思った私は、方言研究会の3回生の時の夏合宿の帰りにゆっくりできなかった長崎に行こうと思い立ちました。目的地は長崎県平戸島。平戸島の平戸港には1550年にポルトガル船が来航し、その後南蛮貿易の港として栄えることになりました。教科書にもでてくるフランシスコ・ザビエルがキリスト教の布教を行った場所としても有名です。その後、キリスト教禁令や、オランダ商館やイギリス商館が長崎に移転して、貿易港ではなくなりましたが、豊臣秀吉の天下統一後の1599年に築城された平戸城を中心とした城下町として栄えました。

私の趣味のひとつはお城巡りです。江戸時代から現存する12城はもとより、復興された天守閣をいだくお城、また歴史の中で埋もれてしまった城跡なんかも尋ね歩きます。

平戸城は昭和37年に復興された模擬天主を抱く城でしたが、写真で見ると海岸部に面した丘陵部に位置する城で大変美しい姿でしたので、そこを観てみたいと思ったのです。

福岡・博多から高校時代の懐かしい思いでの詰まった地下鉄・JR筑肥線に乗り、唐津で途中下車、唐津城を見学した後、佐賀県伊万里まで行き、そこで、地方鉄道である松浦鉄道に乗り込みました。

松浦鉄道、かつては旧国鉄の西九州線だったのですが、その廃止とともに第三セクターとして運営を開始した会社です。1輌だけのワンマン運転電車でしたが、その車内に乗り込むと「きみも入ろう!MR西九州」という社員募集の公告がありました。ちょうど1年前に国鉄がJRになったばっかりだったので、JRに対比してMRかぁ、やる気まんまんだなぁと思った記憶があります。通勤・通学に使われる車内には飲料の自動販売機も設置されており、お客様の利便性を図る工夫がみられました。

さて、ここからが今日の本題です。もしかすると、以前の記事にも書いたことがあったかもしれませんが、その松浦鉄道の車中から沿線の風景を眺めていた私の目にある看板に書かれた文字が入ってきました。

耕作禁止

それはある駅で停車したときに、駅のホームにあった立て札に書かれていた文字でした。

!!!

駅構内なのに、耕作禁止とはどういうこと!?

別の立て札にはこう書かれていました。

ここは駅のホームですので、勝手に耕さないでください

駅の周辺は畑で一杯でした。また、駅のホームは昔ながらのホームで、線路に面した部分はコンクリートで固められていましたが、基本的な部分は土盛りされて作られていて、花壇なんかも作られていました。どうやら、そんな場所まで耕して作物を植えていた方がいらっしゃったようです。

今となってはうそのような話ですが、あれから18年くらいたっていますので、きっともう様変わりしてしまっているでしょうね。果たしてそれはどこの駅だったか・・・松浦鉄道になってから新設されたホームをもつ駅の次の駅だったことは覚えているのですが・・・今となっては記憶がはっきりしません。はっきり覚えているのは「耕作禁止」の看板と駅周辺の景色です。