大学生の時に、関西大学方言研究会というサークルにはいっていたことは、以前の記事で書いたことがありますが、大学一回生の夏に方言調査(夏合宿)で始めた訪れた高知県南国市周辺の記憶は今でも鮮明に残っています。
坂本龍馬の故郷・土佐。現在の高知県の県庁所在地は現存12城のひとつ・高知城のある高知市ですが、高知に城が構えられ主城とされたのは、関ヶ原の戦いの後に静岡・掛川から山内一豊が移封されてきてからで、その前は長曽我部氏が国主であり、その主城は南国市の岡豊城でした。
私たちは高知市内に宿をとり、総勢100人くらいで南国市を中心にその周辺市町村を対象として7泊8日の方言調査を行いました。50組くらいに分かれて、小字ひとつひとつまで訪れるのですが、基本的に男女がペアになるというのがミソで、幹事さんが前日の夜に発表することになっていて、ひそかに意中の人といっしょになりたい人は幹事さんにお願いしていました。
調査自体は真面目なもので、調査結果は「郷言(さとごと)」という冊子にまとめ、国会図書館にも納めていました。
さて、私たちが訪れた南国市周辺ですが、特に思い出というか、記憶に強く残っているのが、香我美町(当時)に行った時のことでした。
香我美町に行くには土佐電気鉄道という路面電車に乗ってその終点まで行くのですが、終点は「ごめん」という駅でした。ごめんというのは「後免」と書きます。路面電車の行く先表示は赤い文字のひらがなでかかれており、来る電車が「ごめん」「ごめん」と表示しているので、思わず笑ってしまいました。
その後、後免駅で降りて、今度はバスに乗り換えでした。
バスは「香我美町営バス」。マイクロバスを一回りおおきくしたサイズでした。
バスの本数はそれほど多くなく、後免駅でしばらく待っているとようやくそのバスがやってきました。
バスが停車し、「自動扉」と書かれた入口の前に立ちましたが、入口はいっこうに開く気配をみせません。それもそのはず、「自動扉」と書かれた漢字に続けて、小さく
自分で
動かす
扉
と書かれてあったのです。
もちろん、自分で入口をあけて乗車しました。
どこに座ろうかと思い、車内を見渡すと、一番後ろの座席の窓に何か文字が書いてあるのを見つけました。
近寄ってみてみると赤い時で「非常口」と書かれています。
非常口・・・?どうみても、そこに扉はありません。他のバス同様、横につながった座席とガラス窓があるだけです。
でも、またなにやら小さい文字が書かれてあります。
さらに近寄ってみると、こんな説明が書かれていました。
非常口
非常の際は座席の下に置いてある木づちで 窓を打ち破ってでてください
・・・なるほど。 私はすっかり香我美町営バスが好きになってしまいました。
昨日、そんな話を知り合いの方々に話していて、今、香我美町はどうなっているのだろうと思い、ネットでみてみましたら、なんと、2006年に合併し、香南市になってしまっていました。と、いうことはあの香我美町営バスもなくなってしまったかもしれません。
残念ながら写真を撮影していなかったので、今となっては記憶の中だけの光景です。
いつもお盆あけに、方言の調査に行っていました。お盆になると、いつもあの夏合宿を思い出します。
坂本龍馬の故郷・土佐。現在の高知県の県庁所在地は現存12城のひとつ・高知城のある高知市ですが、高知に城が構えられ主城とされたのは、関ヶ原の戦いの後に静岡・掛川から山内一豊が移封されてきてからで、その前は長曽我部氏が国主であり、その主城は南国市の岡豊城でした。
私たちは高知市内に宿をとり、総勢100人くらいで南国市を中心にその周辺市町村を対象として7泊8日の方言調査を行いました。50組くらいに分かれて、小字ひとつひとつまで訪れるのですが、基本的に男女がペアになるというのがミソで、幹事さんが前日の夜に発表することになっていて、ひそかに意中の人といっしょになりたい人は幹事さんにお願いしていました。
調査自体は真面目なもので、調査結果は「郷言(さとごと)」という冊子にまとめ、国会図書館にも納めていました。
さて、私たちが訪れた南国市周辺ですが、特に思い出というか、記憶に強く残っているのが、香我美町(当時)に行った時のことでした。
香我美町に行くには土佐電気鉄道という路面電車に乗ってその終点まで行くのですが、終点は「ごめん」という駅でした。ごめんというのは「後免」と書きます。路面電車の行く先表示は赤い文字のひらがなでかかれており、来る電車が「ごめん」「ごめん」と表示しているので、思わず笑ってしまいました。
その後、後免駅で降りて、今度はバスに乗り換えでした。
バスは「香我美町営バス」。マイクロバスを一回りおおきくしたサイズでした。
バスの本数はそれほど多くなく、後免駅でしばらく待っているとようやくそのバスがやってきました。
バスが停車し、「自動扉」と書かれた入口の前に立ちましたが、入口はいっこうに開く気配をみせません。それもそのはず、「自動扉」と書かれた漢字に続けて、小さく
自分で
動かす
扉
と書かれてあったのです。
もちろん、自分で入口をあけて乗車しました。
どこに座ろうかと思い、車内を見渡すと、一番後ろの座席の窓に何か文字が書いてあるのを見つけました。
近寄ってみてみると赤い時で「非常口」と書かれています。
非常口・・・?どうみても、そこに扉はありません。他のバス同様、横につながった座席とガラス窓があるだけです。
でも、またなにやら小さい文字が書かれてあります。
さらに近寄ってみると、こんな説明が書かれていました。
非常口
非常の際は座席の下に置いてある木づちで 窓を打ち破ってでてください
・・・なるほど。 私はすっかり香我美町営バスが好きになってしまいました。
昨日、そんな話を知り合いの方々に話していて、今、香我美町はどうなっているのだろうと思い、ネットでみてみましたら、なんと、2006年に合併し、香南市になってしまっていました。と、いうことはあの香我美町営バスもなくなってしまったかもしれません。
残念ながら写真を撮影していなかったので、今となっては記憶の中だけの光景です。
いつもお盆あけに、方言の調査に行っていました。お盆になると、いつもあの夏合宿を思い出します。
コメント