昨晩は戸田市のお隣りの東京都の都議会議員選挙の結果がニュースで騒がれてました。結果はご存じの通り、民主党の躍進・自民党惨敗です。
今の日本を覆う観客民主主義における有権者心理の観点から考えると、この自民党にとってあらがいようのない大きな流れは、とりあえずは今回の政治劇のヤマ場である衆議院選挙において自民党惨敗・政権交代という結果に帰着するまで続くことでしょう。
そして、ひとたび「自民党惨敗(政権交代)」の姿をみることで、有権者の心理に、ある程度の達成感が得られるので、民主党に吹いている風自体は落ち着くことになると思います。私たちの日本にとって大切なのは、それ以後の動きです。
かつて、幕末に最後の将軍・徳川慶喜は「大政奉還」を行い、300年あまり続いた政権を朝廷に返上するという奇策を行いました。もっとも、その背景には、朝廷側に政権担当能力はなくきっと徳川側を頼ってくるという計算があったとも言われています。しかし、薩摩・長州を軸とする倒幕勢力側はその裏をかき、早々に王政復古を発して新政府を樹立、結果、新政府側と旧幕府軍は主権を巡って鳥羽・伏見の戦いに突入しました。
戦いの最中に薩長側に錦旗がでたのをきっかけに、賊軍となった徳川慶喜は戦いを放棄し江戸に戻り、官軍(新政府)に対して絶対恭順の立場を貫き、戦を避けようとしました。その後、幕臣・勝海舟と新政府側の西郷隆盛の会談により江戸城は無血開城されました。
徳川慶喜は征討対象から逃れたものの、新政府側は民衆に対しては血でもって結果を示す必要があると考え、その矛先は、旧幕府の旗本・御家人を中心とする彰義隊、そして旧幕府側の雄藩であった会津藩を中心とする奥羽列藩同盟、会津陥落後は北海道・箱館を根拠地とした旧幕府軍(箱館政府)に向けられ、凄惨な戦が箱館陥落まで続けられました(戊辰戦争)。
体制を変えるためには、日本全土を焦土としなければならない。戦による火と硝煙の中から新しい意識が生まれてくるのだと、西郷隆盛らは考えていたとも言われています。そして戦勝の後に、版籍奉還・廃藩置県によって武士階級の廃止と中央集権化を行い、併せて「国民皆兵」を行うことで、兵役を通して民の中に国に対する当事者意識を育てようとしました。
もちろん、幕末と現代とでは、時代も状況も大きく違うので同一視することはできません。しかし、歴史から学ぶことはできます。
徳川幕府が大政奉還を行った(政権交代を行った)際に、新政府側が徳川も巻き込んだ体制を樹立していたら、もしかすると戦をせずにすんだかもしれません。仮にそうであったらその後に続く戊辰戦争も起こらなかったでしょう。しかし、そうなったなら、国の仕組みや民の意識はさほど変わらなかったかもしれません。そしてあの時代、日本は世界情勢の中で生き残れていたかどうかは不明です。
今回も十数年前に細川連立政権が出来た時のように自民党が下野する可能性が大ですが、政権交代したならば、それで落ち着くことなく国の仕組みを変えるまで徹底的にやれるかどうかが、日本再生に向けての試金石になると思います。
私は今、大前研一さんの「最強国家ニッポンの設計図〜ザ・ブレイン・ジャパン建白」という著書を読んでいますが、この本はお薦めです!今の時代にこそこのような考え方と道筋が必要なのではないかと感じています。そして、大きな流れの中から、私たちの戸田市がより住みやすく活力があり刺激的なまちになるにはどうしたらよいかというヒントをいただいています。

今回の東京都議会議員選挙を含め、千葉市長(千葉県)、横須賀市長(神奈川県)、宇部市長(山口県)と、私が理事の一人を務め、講座でも教えているNPO法人政策学校一新塾の卒塾生から首長や議員が続々と誕生しています。また、私たちの戸田市の現市長である神保国男氏も、一新塾一期に在籍されました。
政策学校一新塾は、「主体的市民(国や地域のことに当事者として関わっていく意識をもった市民)の育成」を目的として設立された団体で、政策立案能力のある政治家、市民活動やNPO運営家、社会起業家育成という結果を出しています。
市民活動やNPO活動、社会起業は、活動を通して関わる人の社会や地域に対する当事者意識を育むものです。
根本的な国の仕組みづくりと、市民の地域やまちづくりに対する当事者意識、この両輪があってこそ、私たちの住む地域や国は、よりよいステージに上がるように思います。
そういった意味で、今後の政治の流れを注視しつつ、人材育成や地域やまちづくりに自ら関わっていきたいと思います。
・・・とりとめもなく長文になってしまいました。東京都議会選挙の結果をみて、何か書かねば思いました。お読みくださり、ありがとうございます。
今の日本を覆う観客民主主義における有権者心理の観点から考えると、この自民党にとってあらがいようのない大きな流れは、とりあえずは今回の政治劇のヤマ場である衆議院選挙において自民党惨敗・政権交代という結果に帰着するまで続くことでしょう。
そして、ひとたび「自民党惨敗(政権交代)」の姿をみることで、有権者の心理に、ある程度の達成感が得られるので、民主党に吹いている風自体は落ち着くことになると思います。私たちの日本にとって大切なのは、それ以後の動きです。
かつて、幕末に最後の将軍・徳川慶喜は「大政奉還」を行い、300年あまり続いた政権を朝廷に返上するという奇策を行いました。もっとも、その背景には、朝廷側に政権担当能力はなくきっと徳川側を頼ってくるという計算があったとも言われています。しかし、薩摩・長州を軸とする倒幕勢力側はその裏をかき、早々に王政復古を発して新政府を樹立、結果、新政府側と旧幕府軍は主権を巡って鳥羽・伏見の戦いに突入しました。
戦いの最中に薩長側に錦旗がでたのをきっかけに、賊軍となった徳川慶喜は戦いを放棄し江戸に戻り、官軍(新政府)に対して絶対恭順の立場を貫き、戦を避けようとしました。その後、幕臣・勝海舟と新政府側の西郷隆盛の会談により江戸城は無血開城されました。
徳川慶喜は征討対象から逃れたものの、新政府側は民衆に対しては血でもって結果を示す必要があると考え、その矛先は、旧幕府の旗本・御家人を中心とする彰義隊、そして旧幕府側の雄藩であった会津藩を中心とする奥羽列藩同盟、会津陥落後は北海道・箱館を根拠地とした旧幕府軍(箱館政府)に向けられ、凄惨な戦が箱館陥落まで続けられました(戊辰戦争)。
体制を変えるためには、日本全土を焦土としなければならない。戦による火と硝煙の中から新しい意識が生まれてくるのだと、西郷隆盛らは考えていたとも言われています。そして戦勝の後に、版籍奉還・廃藩置県によって武士階級の廃止と中央集権化を行い、併せて「国民皆兵」を行うことで、兵役を通して民の中に国に対する当事者意識を育てようとしました。
もちろん、幕末と現代とでは、時代も状況も大きく違うので同一視することはできません。しかし、歴史から学ぶことはできます。
徳川幕府が大政奉還を行った(政権交代を行った)際に、新政府側が徳川も巻き込んだ体制を樹立していたら、もしかすると戦をせずにすんだかもしれません。仮にそうであったらその後に続く戊辰戦争も起こらなかったでしょう。しかし、そうなったなら、国の仕組みや民の意識はさほど変わらなかったかもしれません。そしてあの時代、日本は世界情勢の中で生き残れていたかどうかは不明です。
今回も十数年前に細川連立政権が出来た時のように自民党が下野する可能性が大ですが、政権交代したならば、それで落ち着くことなく国の仕組みを変えるまで徹底的にやれるかどうかが、日本再生に向けての試金石になると思います。
私は今、大前研一さんの「最強国家ニッポンの設計図〜ザ・ブレイン・ジャパン建白」という著書を読んでいますが、この本はお薦めです!今の時代にこそこのような考え方と道筋が必要なのではないかと感じています。そして、大きな流れの中から、私たちの戸田市がより住みやすく活力があり刺激的なまちになるにはどうしたらよいかというヒントをいただいています。

今回の東京都議会議員選挙を含め、千葉市長(千葉県)、横須賀市長(神奈川県)、宇部市長(山口県)と、私が理事の一人を務め、講座でも教えているNPO法人政策学校一新塾の卒塾生から首長や議員が続々と誕生しています。また、私たちの戸田市の現市長である神保国男氏も、一新塾一期に在籍されました。
政策学校一新塾は、「主体的市民(国や地域のことに当事者として関わっていく意識をもった市民)の育成」を目的として設立された団体で、政策立案能力のある政治家、市民活動やNPO運営家、社会起業家育成という結果を出しています。
市民活動やNPO活動、社会起業は、活動を通して関わる人の社会や地域に対する当事者意識を育むものです。
根本的な国の仕組みづくりと、市民の地域やまちづくりに対する当事者意識、この両輪があってこそ、私たちの住む地域や国は、よりよいステージに上がるように思います。
そういった意味で、今後の政治の流れを注視しつつ、人材育成や地域やまちづくりに自ら関わっていきたいと思います。
・・・とりとめもなく長文になってしまいました。東京都議会選挙の結果をみて、何か書かねば思いました。お読みくださり、ありがとうございます。
コメント
コメント一覧
自分は次回の衆議院選挙で、政権交代が実現して、マスコミが全てに対して公平に報道をするように改めて頂きたいです。
民主党は記者クラブ廃止の方向なのでその辺は評価できますね。
小泉竹中政治のように言論統制と国策捜査がつづき、冤罪が多発する世の中にだけは、してほしくないです。
今は植草一秀さんの収監の時期だけが本当に気がかりです。
別にPRしようとしたわけでなく、戸田市のホームページを見ていたら標記のような記事があり、吉田電工さんのことを思い出したのです。
植草さんの件、気がかりですね。私も彼のブログを毎日チェックしています。