私事ですが、戸田市ボランティア・市民活動支援センターさんのホームページ「特集No.37」に、拙文を掲載いただいております。運営委員のひとりとして、文章をお渡ししただけなのですが、素敵にレイアウトしてくださって感謝しています。

戸田市ボランティア・市民活動支援センター(TOMATO)

(以下、掲載文です)

 「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの…」とは、金沢市出身の詩人・小説家の室生犀星「抒情小曲集」にある「小景異情」という詩の一節(その二)です。国語の教科書でとりあげられていたおかげで、私はこの詩と出逢うことができました。その時は頭ではその詩の意味するところを理解しましたが、感覚としてはよくわからない。なぜ故郷をそうも特別なものとして感じることができるだろうと、不思議に思ったことを今でも覚えています。

 私は、父親がいわゆるサラリーマンの転勤族でしたから、小学校も3回変わりました。住んでいる場所もほとんどが社宅で、その社宅には他の地域から転勤してきた家族ばかり。毎年社宅の誰かが転勤。社宅内では地元の方言を聴く機会もあまりなく、また町会(自治会)活動に積極的に参加することもなく、一種独特な世界がありました。そんな事情もあり、一般の方が「ふるさと」と聴いて甦ってくる感覚が、私の中には育ちにくかったのです。

 私の父方の家系は代々京都に住んでいました。私も京都で生まれましたが、2歳の時に福岡県北九州市に移動。8年間北九州市に住んだ後は、県庁所在地のある福岡市に移動。また8年後には関西に戻りました。関西で8年間過ごした後、私は就職で東京に。その後13年間は東京都民で、4年前からは戸田市民です。住んだ住居も、現在の住まいで14カ所目です。

 他の地に引っ越した後、しばらく経って以前の住んでいたまちを訪れたことは何度もあります。もちろん懐かしいという感覚はありました。でも、同時に、疎外感というか、このまちに私の居場所はないのだという淋しさをも感じました。以前住んでいた社宅に行くと、すでに取り壊され、別の建物が建っていたこともありました。その場で目をつむると、もう40年近く前の様子が浮かんでくるのですが、目を開けると、若干の面影を残しながらもそこはもう異世界。まさに懐かしの風景は思い出の中でした。

 実家は、父親の定年退職を契機に、関西から現役時代に購入したマンションのある福岡市に引っ越しましたので、今では小学4年生から高校卒業までを過ごしたまち・福岡市が私の帰省先です。

 すると、不思議と意識は変化するのですね。年末、親元に帰省して、正月に行われる高校の同窓会に参加すると、言葉は自然と博多弁になり、福岡につながっている自分を感じるのです。かつて、実家がまだ関西にあった頃に、福岡を訪れ、同窓会に参加した時とは、安心感というか居心地の良さが大きく違いました。あの時は、旧友たちに会えて懐かしいという感覚はあっても、福岡の地とのつながりを感じることができませんでした。


 その後、私は石川県からインターネット関連の講座の企画兼講師を依頼され、東京から石川県に出張するようになりました。講座の初日、仕事の関係でどうしても前日に金沢入りすることができず、上野23時3分発、金沢行き寝台特急北陸(ブルートレイン)に乗車、午前7時前に金沢入りしました。講座開始にはまだ3時間ほどある。そこで、駅から金沢中心部までバスで移動し、散策と洒落こみました。しばらく歩くと、力強く流れる川をまたぐ鉄橋に差し掛かりました。橋のたもとに川の名前が…「犀川(さいがわ)」と書かれてありました。

 犀川の流れを観ていると、自然に心の中に「ふるさとは遠きにありて思ふもの…」という室生犀星の詩が浮かんできました。犀川の西で生まれ育ったことに起因する筆名「犀星」、その室生犀星の記念館があるすぐそばの橋の上でした。

 そのとき、私はわかったのです。

 故郷とは地理上の場所だけでなく、深い絆を育んだ人の存在が必要なんだ、と。

 室生犀星にとっては、故郷・金沢は複雑な生い立ちの苦しい記憶が残る場所。懐かしさと苦しさが交錯する場所であっても、特別な存在としていつまでも彼の心から離れなかったようです。後年、この詩については、さまざまな解釈がなされていますが、「ふるさとは単に地理的な存在を指すのではない」という点では各解釈とも共通しています。

 私が現在、京都でのお墓参りや福岡への帰省で感じる「この地につながっている」という感覚は、そこで過ごしたという想いだけでなく、京都ではご先祖様との絆の存在を、福岡では親との絆の存在を感じることから生じるもののような気がします。ご先祖様や親との関係は生まれたときから育まれてきたもので、深い絆です。


 ところで、石川県の仕事は9年目となる現在も続いているのですが、石川県に出張中のある日、社会人になってからできた友人グループのひとりから携帯に相談の連絡をもらいました。その相談とは同じグループの仲間で戸田市に住む友人に関してのことでした。そのことがきっかけになって、私は戸田に関わりをもつようになりました。当時は東京都杉並区に住んでいたのですが、戸田への興味が深まり、戸田の情報が交換されているインターネットの掲示板に参加するうちに、その交流会にも参加するようになり、戸田市に遊びにくる機会が増えました。友人も増え、戸田市の環境の良さにも心惹かれ、金沢出張にも便利ということで、ついに戸田市に引っ越してきました。

 現在、私は地元町会の活動や、地元商店会の企画、市民活動、戸田市が公募する市民会議や委員会にご縁をいただき、積極的に参加しています。関われば関わるほど、戸田市に住む人との絆が深まってくるのを感じています。東京に住んでいた頃は所詮「よそ者」で、人口規模も大きかったこともあり役所は遠い存在で、地元に参加する機会さえわかりませんでした。その点、戸田市では自分が関わりたいと思ったら関わるきっかけはいくらでも見つかります。関わることで、人との絆が深まり、その絆を通して、地域への愛情・愛着が育ってきます。そんなきっかけを探す拠点のひとつが「戸田市ボランティア・市民活動支援センター(TOMATO)」なのだと思います。

 私は今、金沢に出張しても、京都に行っても、福岡に帰省しても、戸田市に戻ってきた時に「帰ってきた!」という安堵する気持ちを感じるようになりました。このまちを歩くと、「おはようございます」「こんにちは」と声を掛け合える人がたくさんいます。地域のさまざまな活動に参加しながら「絆やつながり」を心地よく感じています。戸田に関心をもって8年、戸田市に引っ越してきてまだ4年目ですが、地元のいろいろなことに参加できたおかげで、絆も深まり、最近、特に「戸田市が私のふるさとだ」と思うようになりました。

 「林さんの故郷は?」と尋ねられた際、私は「生まれは京都で、育ちは福岡・大阪なんだけど」と言った後、こう付け加えます。

 今の私にとって故郷を感じる場所は戸田市。私は戸田市が好きなんです。