新潟県中越沖地震に被災された皆さまをご案じ申し上げます。

昨日、夕方にエレベータを下り、自宅玄関を開けようとした瞬間、何か違和感を感じて埼京線に目をやると、埼京線に並行して走る新幹線が停止していました(後で余震の影響と知りました)。新幹線に乗車されていた方はさぞや不安だったでしょう。
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私は石川県出張の際は、上越新幹線で越後湯沢に行き、そこでほくほく線を走る特急はくたかに乗り換えますが、新幹線が越後湯沢駅に到着する手前のトンネル内で異様な振動を感じたり、ガンと大きな音がししたりする(何かはじいたような衝撃音)場合があります。トンネル内はかなりスピードを出して走っているものですから、この新幹線、大丈夫だろうかと不安になります。
地震といえば、12年前の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)を思い出します。独りで暮らしていた私の祖母も被災し、結局、祖母はその時のショックと怪我がもとで認知症になっていきました。私の弟は被災した祖母を救出するために、すぐに大阪府枚方市から車で兵庫県神戸市東灘区に向かったのですが、普通なら3時間程度で到着する場所が、寸断された道路や建物の倒壊、火災、などで大幅に迂回し、13時間ほどかかったそうです。東京にいた私は、テレビに映し出される神戸市の火災の状況をみて、ただただ祖母の安否を願うばかりでした。画面に映し出される神戸市は、一週間前に行ったばかりの場所でした。弟と一緒に祖母宅に行き、車に載せてドライブし、六甲アイランドで食事したばかりの場所。子どもの頃からの思い出の神戸があちらこちら崩壊し、火の手があがっている。体が震えてとまらなかったのを今でも思い出します。
私はすぐにでも関西に飛んで帰りたかったのですが、東京で重要な仕事がありました。当時、パソコン通信ニフティフォーラム(その時はまだインターネットの一般サービスがなかった時代でした)の、ある会議室のシステムオペレーターをしていましたので、主に関西の会員さんかの安否情報の確認から始まり、現地状況報告、何が不足して、どんな情報を欲しているかなどを寄せていただき、ボランティア希望の方々や救援物資送付を希望する方々にそららの情報を流していました。特にお風呂がなく、どこに行けば入浴サービスを受けることが出来るかなどの情報サービスは、みなさんから寄せられる情報で大いに助かったものでした。
数ヶ月後に、よくやく関西に行くことができましたが、祖母宅の状況確認に向かう夜の道すがら、暗い国道の両脇に1階がつぶれたマンションが(当然ですが)暗く傾いてたっている、それも何棟もという情景に、地震の規模のすさまじさを実感しました。
地震は、いつくるかわかりません。それだけに日ごろの防災訓練が大切で、私は町会を中心とした地元・戸田市の防災訓練には参加するようにしています。
今回の新潟中越沖地震の被災者の皆さまのことを思うと、いたたまれない気持ちになります。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)のことを思い出して涙がでてきました。被災された皆さま、心からご案じ申し上げます。

昨日、夕方にエレベータを下り、自宅玄関を開けようとした瞬間、何か違和感を感じて埼京線に目をやると、埼京線に並行して走る新幹線が停止していました(後で余震の影響と知りました)。新幹線に乗車されていた方はさぞや不安だったでしょう。
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私は石川県出張の際は、上越新幹線で越後湯沢に行き、そこでほくほく線を走る特急はくたかに乗り換えますが、新幹線が越後湯沢駅に到着する手前のトンネル内で異様な振動を感じたり、ガンと大きな音がししたりする(何かはじいたような衝撃音)場合があります。トンネル内はかなりスピードを出して走っているものですから、この新幹線、大丈夫だろうかと不安になります。
地震といえば、12年前の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)を思い出します。独りで暮らしていた私の祖母も被災し、結局、祖母はその時のショックと怪我がもとで認知症になっていきました。私の弟は被災した祖母を救出するために、すぐに大阪府枚方市から車で兵庫県神戸市東灘区に向かったのですが、普通なら3時間程度で到着する場所が、寸断された道路や建物の倒壊、火災、などで大幅に迂回し、13時間ほどかかったそうです。東京にいた私は、テレビに映し出される神戸市の火災の状況をみて、ただただ祖母の安否を願うばかりでした。画面に映し出される神戸市は、一週間前に行ったばかりの場所でした。弟と一緒に祖母宅に行き、車に載せてドライブし、六甲アイランドで食事したばかりの場所。子どもの頃からの思い出の神戸があちらこちら崩壊し、火の手があがっている。体が震えてとまらなかったのを今でも思い出します。
私はすぐにでも関西に飛んで帰りたかったのですが、東京で重要な仕事がありました。当時、パソコン通信ニフティフォーラム(その時はまだインターネットの一般サービスがなかった時代でした)の、ある会議室のシステムオペレーターをしていましたので、主に関西の会員さんかの安否情報の確認から始まり、現地状況報告、何が不足して、どんな情報を欲しているかなどを寄せていただき、ボランティア希望の方々や救援物資送付を希望する方々にそららの情報を流していました。特にお風呂がなく、どこに行けば入浴サービスを受けることが出来るかなどの情報サービスは、みなさんから寄せられる情報で大いに助かったものでした。
数ヶ月後に、よくやく関西に行くことができましたが、祖母宅の状況確認に向かう夜の道すがら、暗い国道の両脇に1階がつぶれたマンションが(当然ですが)暗く傾いてたっている、それも何棟もという情景に、地震の規模のすさまじさを実感しました。
地震は、いつくるかわかりません。それだけに日ごろの防災訓練が大切で、私は町会を中心とした地元・戸田市の防災訓練には参加するようにしています。
今回の新潟中越沖地震の被災者の皆さまのことを思うと、いたたまれない気持ちになります。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)のことを思い出して涙がでてきました。被災された皆さま、心からご案じ申し上げます。
コメント
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また揺れました。今回の地震は前回の能登半島地震ほどではありませんでしたが、震度5強とかなり揺れました。
戸田市付近まで影響が出ていたとは驚きです。
ところで…
6月の終わりに出張で青森の八戸へ行ってきました。行程的には羽田まで飛行機でその後は東北新幹線で八戸までの行程でした。
その際に「戸田」を通過しました。何度かその行程で行っていますが林先生とお知り合いになってからは戸田市の町のイメージがなんとなく浮かぶようになりました。これもブログの力ですね。
え〜、私が住んでいる部屋から新幹線が見えるのですよ!前もって知ってたら、手を振っていたのに……。
そうですね、誰か知り合いがその地にいると、なぜか通過するだけでも印象深い土地になりますよね。
私にとっての能登もそうです。
今度は戸田市で途中下車する予定でお越し下さい。