昨日の記事に寝過ごして降りた浦佐駅で心温まる出会いがあったと書きましたが、その話を続けます。

(以下の映像は、帰りに撮影した越後湯沢駅新幹線入線の様子です)



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寝過ごして越後湯沢駅で折り損ねた私は、車掌さんのご好意で浦佐駅から越後湯沢駅まで戻ることになりました。浦佐駅で降り、上りホームにまわった私。時間 をみるとまだ40分くらい時間がありました。外は雪化粧の浦佐の町。全体の量は少ないもののしんしんと雪が降り続いています。2時間ほど前にいた戸田市で は春のような陽気だったのに、まさに別世界。乗り過ごしたことで迷惑をかける先には電話して、その後、駅の窓から外に広がる風景を眺めていました。雪が音 を吸収するせいか、とても静かな世界。たまにはこんな時間もいいかと、気持ちを切り替え、首にマフラーを巻きながら雪降る光景に心和ませていました。

そんなとき、ホームのどこに並んだらよいか迷っているおばあさんの姿が目に入りました。ホームには、8両編成○号車、10両編成○号車、12両編成○号車 の表示に加え、Max8両編成○号車、Max10両編成○号車、Max12両編成○号車の表示があり、なれていないと確かによくわかりません。

次の新幹線は12両編成のMaxとき号。私はおばあさんにここですよと、正しい場所をお伝えしました。そこからおばあさんとの会話が始まりました。おばあ さんはもともと神奈川県の方で、結婚されたもと警察官のご主人が実家に家を建てたため、浦佐に移り住んでこられた方でした。ご主人が亡くなられた後もお一 人で浦佐に残られたそうですが、やはり冬の浦佐は雪が多く、昨年の豪雪の時は雪下ろしを町のシルバーサービスに何度も頼まれたそうです。今年はそれが1回 だけで済んだそうで、浦佐は住みやすいのだけど、冬の雪だけが大変だということをお話されていました。

その後、新幹線が到着し、おばあさんと隣り合わせの席に座って、会話は続きました。新幹線の話になって、おばあさんは東海道新幹線ができた年にすぐに乗っ て名古屋まで行かれたとのこと。私が生まれたのがその新幹線が開通した昭和39年だったことを告げると、おばあさんはにこにことされ、私は今年で86歳だ から、昔の話をしてもわからんわいねと言われました。86歳!とてもそう思えないほど元気なおばあさんでした。

その後、新幹線が越後湯沢に着くまで、会話はつきず、越後湯沢駅に着いて、「ありがとうございます。それでは道中お気をつけて。」「お兄さんもがんばってね。」と、お別れの挨拶をしました。

越後湯沢は雪降り続き、次の特急はくたか号を待つまで寒いホームで40分近く待ったのですが、私の心はほかほか温かみを感じていました。新幹線で寝過ごし たことで、約2時間の遅れになったけど、いつもはただ移動するだけの道中が会話によって心温まる時間になりました。学生の頃、よく鉄道の旅に出ましたが、 そんな時はこんな経験がよくあったことを思いだし、心にゆとりを持つことの大切さと、ふれあいのありがたさを再び感じさせられました。神様からのプレゼン トだったような気がします。