
これは国内最大級のコレクションであり、国民に軍隊への参加や食料の節約などを呼びかけているポスターからは当時の世相を伺うことができ、貴重な資料とのことである(画像をクリックすると、東京大学の該当ホームページが開きます)。
第一次世界大戦といえば、サラエボ(セルビア)でのオーストリア皇太子暗殺に端を発し、イギリス・フランス・ロシアを中心とする三国協商側(日本はこちらに参加)とドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟側との間で行われた世界大戦(イタリアは当初三国同盟側に与していたが、開戦一年後に三国協商側に転じドイツ・オーストリアに宣戦布告、三国同盟は崩壊したが、オスマン・トルコ帝国がドイツ・オーストリア側に付いた)であり、兵器としては戦車や航空機、潜水艦が開発・実践投入され、また、毒ガスなど非人道的兵器が最初に使われたほか、イギリスの三枚舌外交により今日のイスラエル・パレスチナ抗争の原因をつくった戦争であるが、私には小学生の時に読んだ本の中で記憶に残っている話がある。
それは、当時のドイツ皇帝ウィルヘルム2世の話である。ある日、戦局が膠着状態に陥りドイツの食糧事情も日に日に悪くなっていったとき、ウィルヘルム2世がハンバーグを食べていたらしい。その時に、彼は給仕に向かって「たしか、このハンバーグはわが国で開発された料理だったな」と声をかけた。給仕は即座に「その通りであります、皇帝陛下。このハンバーグは少しの肉でかくもおいしい料理になるという我が国の英知が込められた料理であります」と答えたそうだ。それを聞いて、ウィルヘルム2世は「我が国はハンバーグしか食べられないが、今でもイギリスやフランスではステーキ肉をたくさん食べているに違いない」と食糧事情から戦局の行方に不安をもった、という話である。
この話が実話かどうかは知らないし、確か第一次世界大戦を説明する子ども向けの物語本だったと思うのだが、その前後にどんな話が書かれていたか覚えていない。覚えているのはその本を読んだ時に「そうか、ハンバーグは少ない肉で作れるドイツの料理なんだ」と子ども心に感心したことだけである。そして私はハンバーグを食べるときにいつもこの話を想い出す。
ちなみに、その後、ドイツは降伏し、ウィルヘルム2世はオランダへの亡命の身となった。その失意のそこにある彼のもとに、ある子どもから一通の手紙が届いたという。その手紙には「誰がどう思おうとも、僕は陛下をいつまでも僕の皇帝として敬愛します」と書かれていた。彼は深く心を動かされ、ぜひ一度会いたいと返事を書き、その子どもは母親に連れられてやってきた。その後、ウィルヘルム2世はその子の母親と結婚したという。
話が脱線したが、東京大学で公開されている貴重な資料をどうぞご覧あれ。
コメント
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ウィルヘルム2世のお話、ハンバーグの方ですが戦争中に皇帝はハンバーグ食べられるんだ・・ずるいなあと私なら思うかな。でも亡命後のエピソードは何だか素敵だわ。
ハンバーグを食べるときにいつも想い出す話で、きっと弟がこれを読んだら、兄ちゃん、またあの話やねと笑うと思います。ちなみに、彼は「カイゼル(カイザー)=皇帝」と呼ばれましたが、端がピンと跳ね上がった立派なひげを生やしておりまして、そこからそのような形のひげを「カイゼル髭」とい呼ぶようになったそうです。
ドイツはフランスに侵攻したり、ポーランドを侵攻してロシアと激戦を交えたりもします。ま、あの独裁国家ですからむちゃくちゃでも仕方ありません。当時パリにいた20世紀最大の画家ピカソもスペインのゲルニカという街が理不尽な爆撃を受けたことに抗議し怒りをカンバスに表したことは有名です。どの国が爆撃したかは失念しましたが。