
住居の契約や住民票の移動などは9月に行い、しばらく杉並と戸田の二重生活だった。
今日20日の一年前は、杉並の旧宅を掃除しにいった日だった。
ありがとうと言いながら、床を雑巾かけし、窓をふいていたら涙がでた。
子どもの時から転勤族。引越が多くて慣れっこだったはず。今までに涙がでたのは、北九州市から福岡市へ引越した小学4年生の夏、家族が奈良に引越し私一人が福岡に残った高2の冬、そして一年前が3度目だった。
今すんでいる戸田市には住み続けようと思っている。もちろん、仕事の関係もあるが、この街と、このまちの人たちとともに、笑い語らい歳をとっていこうと思っている。
戸田市は住みやすい。まだまだのところはあるけれど可能性いっぱいの街である。
石川県にご縁をいただき、石川の風土や人の心に心休まることも多い。
どちらにも住みたいけれど、今の私にとって戸田市はまちづくりに参加できるまち、住み続けたいまちをみんなといっしょに創っていけるまちなのだ。
石川は道場という場などでご縁をいただいた方々の活動が、元気で住みよい石川県に繋がっているという感があり、私もうれしく励みになっている。
戸田市民になって一年。うれしさと希望を感じながら、また一歩ずつ歩き続けよう。
コメント
コメント一覧
金沢に定着して20年余り、嫁さんもらって白山市に移り住んで来月で2年が過ぎます。この町には何年住むのだろうと思いつつ、金沢市で残業してます。。。。
>>もっぷさん
そうなんです。あこがれなんですよね。
今日もお仕事お疲れさまです。また来週ですね。
>>ひまわりさん
「さよならする時、泣きました」という行を読んで、またじ〜んと来てしまいました。福島県田村郡ですか。戦国時代の東北の雄・伊達政宗の正室が、田村郡のある地域を治めていた田村氏の一人娘だった記憶があります。たしか愛姫(めごひめ)と呼ばれていたような。二人の間に伊達の跡取り以外にもうひとり男の子が生まれたら、その子に田村を次がせようということになっていましたが、豊臣秀吉によって小田原攻めに参加しなかった田村家は領地没収になったと思います。
私の場合は親に迷惑を掛けましたが、皆さんはきちんと状況を受け止めていらっしゃった様ですね。
今はそんな繊細な部分は少しも残っていませんが。
東京から金沢に来て、戻りたいと思わないし、ずっと石川県に住んでいたいと思います。
いい人に巡り合えているからでしょうか。
今日はラッキーな日です!(笑)
戸田市在住一周年おめでとうございます。
実は私も今月戸田市民になろうとしているところ
です。
娘たちの転園にはとても心痛みますが
今の別れを悲しむのではなくて
これからの新しい出会いを楽しもうね、と
難しい説明をしながら引越しの準備をしています。
そういう訳でこれからも戸田市の情報を
よろしくおねがいします〜〜!
>>りえぞうさん
確かに人との出会いが大きいです。
新しい土地に移れば、移ったなりのいいことがありますし、結局時間が解決してくれますよね。
>>ゆっきーさん
びっくりでした。あれ?名前は覚えていないけど、あの時の方だと思いました。こちらはまた普段着でしたから、ちょいと照れました。今後ともよろしく御願いいたします。オレンジキューブで入居者の方々を対象に12月1日にネット活用関連の講座を16時から行う予定です。私が講師をしますので、もしよろしければ参加ください。
私は春先に戸田に住みたいと思っていました。今でも思うと泣いています。
埼京線の埼京線の快速大宮行,快速川越行で戸田公園と武蔵浦和の間の流れる景色と共に大事な人の事で振り返った事で泣いた事があります。
どうぞよろしくお願いします!!