dcf2134d.jpg「故郷は遠きにありて想うもの」

金沢・犀川に沿って歩くとき、金沢出身の文豪・室生犀星の詩をいつも思い出す。

転勤族の家庭で育った私には「故郷」と呼べる場所はないような気がする。

もちろん祖父の代までご先祖様が生活されていた京都には精神的な想い入れはあるし、小学4年生から高校卒業まで過ごし、かつ現在私の親が住んでいる福岡県福岡市を故郷と呼べなくもない。今でも帰省する度に新しい街に驚きつつも懐かしい想いにひたっている。

しかし、人が「故郷」と言った時に恐らく感じるであろう、つつみこまれる温かさのような感覚を持てる感慨が湧きにくいのだ。

それは、たぶんに、社宅住まいだったことも関係しているかもしれない。社宅住まいは所詮仮のすみか。地域に馴染まず、昔から住む人たちと密になりにくい。想い出の出来事はたくさんあっても、近所の知り合いのおじさん、おばさんといった存在はない。いつでも子どもに帰る場所ではないのだ。

福岡市に移る前は北九州市小倉に住んでいた。

先年、帰省の際、かつて住んでいた付近を歩いてみたが、すっかり光景が変わっていた。馴染みの店はなくなり、神社の敷地は公民館になり、公園は住宅地に変わり、私が住んでいた社宅も壊され整地・分割されいくつかの一戸建住宅に変わっていた。よく通った駄菓子屋もその辺り一帯が広い道路に変わりいったいどこにあったのかさえ分からなくなっていた。変わらないのは離れたところにそびえ立つ足立山くらいだった。

悲しかった。

頭では分かっていたのだが、来るべきではなかった。

そんな失意の中、とぼとぼ路地を歩いていてある角に差し掛かった時、あ!と思った。

そこは私が幼稚園に通うためのバスを待っていた場所であり、小さいときの私が勝手に決めて皆に守らせていた「ここから並んで待つ」という目印の石がまだその場所に埋まっていたのだ。

故郷という言葉が私に思い起こしてくれるのは土地ではなく、人の温もりである。温かかく楽しかった家庭の記憶、母の温もり、友達との交流....。

時は流れる。
人とは別れ、目に見えるものは移り変わる。

想い出の風景は私の心の中に残っている。それでいい。

私の場合、故郷は心深くに思い出すもの、そして新たに人との交わりの中で創りあげるもの、....かもしれない。

そう考えれば、戸田市も故郷、石川県も故郷にかわるだろう。

私は故郷を創りたい。
人との絆をつくりつつある戸田市を私の新しい故郷にしたい。