050501_1159~01.jpgマリンピア松島水族館にて。

山椒魚は悲しんだ。
彼は彼の棲家である岩屋から外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。今はもはや、彼にとっては永遠の棲家である岩屋は、出入口のところがそんなに狭かった。そして、ほの暗かった。強いて出ていこうとこころみると、彼の頭は出入り口を塞ぐコロップの栓となるにすぎなくて、それはまる二年の間に彼の体が発育した証拠にこそはなったが、彼を狼狽させ且つ悲しませるには十分であったのだ。
「何たる失策であることか!」


050501_1159~01.jpg彼は岩屋のなかを許される限り泳ぎまわってみようとした。人々は思いぞ屈せし場合、部屋のなかを屡々こんな工合いに歩きまわるものである。けれど山椒魚の棲家は、泳ぎまわるべくあまりに広くなかった。彼は体を前後左右に動かすことができただけである。その結果、岩屋の壁は水あかにまみれて滑らかに感触され、彼は彼自身の背中や尻尾や腹に、ついに苔が生えてしまったと信じた。彼は深い嘆息をもらしたが、あたかも一つの決心がついたかのごとく呟いた。
「いよいよ出られないというならば、俺にも相当な考えがあるんだ」
しかし彼に何一つとしてうまい考えがある道理はなかったのである。

... by 井伏鱒二

子どものころは、情景をそのまま想像し、
大人になってからは、情景を自分の経験と重ね合わせて実感する。
ガラスの中のオオサンショウウオをみて、つい教科書に載っていた「山椒魚」のフレーズを思い出してしまった。