おはようございます。🥰🌼🥝

今日、6月7日(日曜日)の戸田市の天気は晴れ。昨日の雨の影響か、気温が昨日より上がらず最高気温は14時に25度が予報されています。心持ち過ごしやすいかもしれません。


さて、日曜日のテーマは、かつて読んだ本のお話。

以前、司馬遼太郎さんの歴史小説を読むときに、舞台となった現地に行っていたという話を書きましたが、思い出に残る場所のひとつにあげられるのが、日本の城の中でも名だたる山城のひとつ、奈良県の大和高取城跡です。

大阪・天王寺にある近鉄電車大阪阿部野橋駅より、電車で45分。壷坂山駅下車、山登りを始めて徒歩2時間で到着します。

明治維新の後に廃城となり、城郭は売却、棄却、移築されました。現在では当時の石垣が苔むして残るだけ。街から離れている山にあるため、新たに何かが造られることもなく、当時の雰囲気が残っているように感じさせる城跡でした。


この大和高取城を描いた司馬遼太郎さんの作品は「おお、大砲」という短編小説。


この城は、歴史の中で一度だけ、戦火に巻き込まれたことがあります。

それは幕末の天誅組の変の時。京都では新選組が市中取り締まりをやっていた頃で、まだ幕府側の力が強かった時期です。

ペリーの黒船来航をきっかけに開国をした幕府に反し、攘夷を唱える長州藩が画策。孝明天皇に奈良・春日大社への大和行幸を行わせ、攘夷親征宣言・倒幕まで持って行こうとしていました。

しかし、その動きを察知したのが薩摩藩。会津藩と手を結び、長州藩の勢力を京から追い出してしまうという政変が起こりました。

そして、三条実美ら長州派の公卿は京を追放され、長州藩を目指して落ちのびていくことになります。いわゆる「七卿落ち」といわれる史実です。

その結果、天子様の大和行幸をにらんで、先に幕府の五條代官所(現、奈良県五條市)を襲撃した土佐浪士吉村虎太郎を首魁とする尊皇攘夷浪士からなる天誅組は孤立してしまいました。

彼らは依って立つ拠点を得ようと、大和高取城奪取をもくろみ、進撃を開始します。


一方、迎え撃つ大和高取城には、秘匿兵器がありました。その名も「ブキリトース砲」。

薄い鉄板に錫箔を付けた「ブリキ」も貫く(通す)という意味で「ブリキトース砲」。

この大砲は、約350年前に、徳川家康が大阪城の城攻めに使った大砲でした。大阪夏の陣の後に、大和高取藩に下賜され、藩では代々この砲を伝えてきたのでした。

もちろん350年前の骨董品ともいうべき旧式大砲で、砲弾も炸裂しない鉄球ですから、その後の戊辰戦争で使われた大砲のような破壊力はありません。

しかし、攻める天誅組も戦国時代の甲冑に身を包んだ装束。幕末の1863年に、約350年前の戦国期のような姿が生まれたのでした。

ところが、天誅組を構成する多くの者が正規の武士ではなかったこともあり、大和高取藩の銃砲撃にあえなく敗退。ブリキトース砲が発した大音響に天誅組側が驚いたことも敗退する一因になったそうでした。


「おお、大砲」という小説は、そういった史実をもとに作られたフィクションです。

主人公は、数奇な縁からブリキトース砲の一門を差配することになった大和高取藩の武士・笠原新次郎。その妻は妙。

この小説を読んだときに、次のくだりが気になりました。

時間軸としては、ちょうど、天誅組が五條代官所を襲撃した後。大和高取藩が、万が一に備え、臨戦態勢をとることになったあたりです。


🍀🍀🍀

 砲側には一門ごとに小屋が一つ建てられ、そこに弾薬を集積するとともに、新次郎らは、その夜からそこで寝とまりすることになった。

 妙など藩士の婦女子は、合戦のときには屋敷をひきはらって山上の城に籠城するはずであったが、それまでは各陣地の焚出し(たきだし)に任じていた。

 鳥ヶ峯の砲兵陣地にも、妙は、新次郎と足軽たちのためにとくに自分の手で作った弁当を運んできた。

「妙、元気そうだな」

「はい。でも、あすからは山のお城にこもるそうですから、もう当分は旦那様のお顔を見られませぬ」

「しかし合戦はまだ始まりそうにない。ときどき、山を降りてくればよいのではないか」

「それがこまったことに、明日、私どもがのぼったあと、お城への山道十丁に、竹ノ皮を裏返しにして敷きつめてしまうそうでございます」

「竹ノ皮を? なんのためだ」

「敵がのぼってきたときは、竹ノ皮ですべらせてころばせてしまうそうでございます」

「なるほど、それぁ、敵はころぶ」

「妙は竹ノ皮ですべるのはいやでございますから、もう城から降りて来られませぬ」

🍀🍀🍀


竹ノ皮を裏返しにして敷き詰めて、転ばせる!? そんなことが可能なの?

私はそんなことが気になってしまって、これは現地を見ねばなるまいと思いました。

大和高取城跡の最寄り駅(といっても徒歩2時間ですが)、壷坂山駅の近くには、歌舞伎や浄瑠璃で演じられる「壷坂山霊験記」の舞台・壷坂寺がある場所でもありましたので、行ってみることにしました。


壺阪山駅を降りて、壷坂寺を経由しながら、大和高取城跡に向かいました。

山道は細く、険しく、歩いているのは私ひとりだけでしたが(今から考えるとひとりでの行動は危険だったかもしれません)、大和高取城跡は、苦心して登っただけのかいがある、荘厳な雰囲気をもっていました。

城跡にあるほこらにお参りしたときには、自分は何をしているのだろうと思う気持ちとともに、不思議な達成感もありました。

その後、来た道とは違う道を通って下山しましたが、その道が、小説に書かれていた「竹ノ皮を敷き詰める道」でした。


実際には、やはり竹ノ皮を敷き詰めたら、つるつる滑って転ぶだろうなと思うくらいの山道でした。なによりも大和高取城のある山城には竹がたくさん生えていて、材料になる竹の皮には困らないというのもわかりました。

これをきっと司馬遼太郎さんは見たに違いない!


まぁ、それだけのことなのですが、今でもこの「おお、大砲」を読み返すと、大和高取城跡の様子や地形、あの山道が脳裏に甦ってきます。

(参考までに、大和高取城跡の写真を掲載くださっているブログがあります:https://ameblo.jp/alkemist19/entry-12592122957.html


こういった歴史小説は、フィクションであっても、執筆するにあたっては現地を取材しているわけですから、その場所に行って作者がみたであろうものをみることで、小説に書かれたことが活き活きと想像できるようになります。そんなことも、読書の楽しみのひとつだと思います。


お休みの日に、ここまで長文を読んでくださいまして、ありがとうございました。


今日も心明るくお元気に。😉✨

そしてできれば周りの方に優しさのお裾分けを。
引き続き、医療従事者の方々に、ライフラインを守ってくださる方々に、敬意と感謝の気持ちを。🥰


今日の日曜日が、皆様にとって素敵な一日になりますように。

本日もよろしくお願いいたします。😊😄😉

(写真は、市役所南通りのCOCOSから五差路に向かう県道の左脇花壇に咲く紫陽花です)

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