本日の埼玉新聞に毎週火曜日連載、戸田中央医科グループ創設者中村隆俊の半生【第9話】が掲載されました。最終回です。

許可をいただきまして紹介させてもらいます。

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埼玉新聞2017年9月26日17面

朝雲流れて金色に照り
戸田中央医科グループ創設者中村隆俊の半生【第9話】

「愛し愛される病院」を
使命継承に確信

隆俊は2012 (平成24)年8月、戸田中央総合病院の50周年記念誌にこう書いた。「振り返ると本日この日を迎えるまでには幾多の難局があり一言では申し尽くせません。ただ不変なことといえば『懸命に働くこと』を地道に積み重ねてきたことです。開院当時は『黒船来航』と地元医師会からは非難され、艱難辛苦のスタートでした」

医師会では、理解を示して応援してくれる子達もいた。こういう人たちとは長年、友情を通わせてきた。そのうちの一人が中村富一氏で、もう一人が斉藤修氏。中村氏については現在、孫の泰之氏が、斉藤氏については子息裕氏が後を継いでいる。修氏亡き後は、8月30日の命日のたび、焼香に果物を持って訪れてきた。最近、隆俊はベッドで母校北大の寮歌のCDを聴きながら、低く声を出して歌う。「朝雲流れて金色(こんじき)に照り 平原果てなき東(ひんがし)の際(きわ) 連なる山脈(やまなみ)玲瓏として 今きも輝く紫紺の雪に・・・」。寮歌を5番あたりまで聞くと、いつも涙が流れる。歌の情景は故郷瀬棚の風景とも重なる。

「少年よ大志を抱け、と言うクラーク博士の別れの言葉のその後を知っていますか。『Boys be ambitious like this old man(私ごとき老人のように)』と言ったんです。これが大事だ」と隆俊。

最近は「私は生涯現役。そして生涯独身」と軽口を叩き、若い女性看護師たちを笑わせる。興に乗ると初恋の話もしたりする。3兄弟が牛込矢来町に住んでいた頃、東京芸大の学生に一目惚れした。逗子でデートし、母にも引き合わせた。

しかし、駄目だった。隆俊は「あの頃、兄弟3人で板橋の病院を作るのが最優先で、そちらに一生懸命だったから私も諦めた」と言う。2年前、いろいろな縁がつながり、その人と再会。今その人は月に一度、グループ傘下の老健施設で音楽セラピーを開いてくれている。

現在兄哲夫(07年没)の板橋中央医科グループ(イムス)、弟秀夫の上尾中央医科グループ(AMG)を合わせた医療グループは日本最大級に。中村さん兄弟が互いに協力しながら幾度と無く困難を乗り越えてきた結果である。

3人の背中を見てきた息子たち、そして1万3414人(3月現在)に及ぶ戸田中央医科グループ(TMG)のスタッフたちが「愛し愛される病院」を引き続き、グループのこれからの50年をつないでいってくると、隆俊は確信している。(敬称略)

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(写真)本部職員に囲まれる中村会長(前列中央)。背景に写る「愛し愛される病院」が引き継がれていく= 2015年1月

=おわり=

この連載は依田英男、岸鉄夫、中野えみりが担当しました。