本日の埼玉新聞に毎週火曜日連載、戸田中央医科グループ創設者中村隆俊の半生【第7話】が掲載されました。戸田中央病院開業時のお話です。

許可を頂戴しまして紹介させていただきます。

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埼玉新聞2017年9月12日17面

朝雲を流れて金色に照り
戸田中央医科グループ創設者
中村隆俊の半生【第7話】

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鉄筋2階、病床数29でスタート

板橋中央病院が地域の患者を増やす中、往診を担当していた隆俊は、戸田方面への往診が頻度を増し、戸田地域が急速に発展しているのを目の当たりにしていた。自然と戸田あたりにも病院が必要だと考えるようになっていた。そんな時、病院に適した土地を紹介してくれる人が現れた。

早速、その土地のことを兄弟に話したところ、兄の哲夫は病院を出そうと即断。父の教えを生かして、3つ城を持つことを目標にしようと隆俊、弟秀夫を鼓舞した。こうして戸田は、隆俊が開院することになった。

毛利元就は、嫡男の隆元には安芸吉田に、次男の吉川元春は養子に行って安芸の本庄に、三男の小早川隆景も養子に行安芸の沼田に城を持たせた。それぞれが独立しつつ連携すると言う毛利家にならい、父末吉は隆俊に戸田をまかせ、いずれは三男の秀夫にも城を持たせる考えだった(秀夫は後に上尾中央総合病院を開院)。

1962 (昭和37)年8月、鉄筋コンクリート2階建ての戸田中央総合病院が竣工し、病床数29床でスタートした。板橋中央病院から数名の医療スタッフに来てもらい、また隆俊の北大時代からの親友であった八代利雄も招聘した。

隆俊は院長に就任した。弟の秀夫は副院長。隆俊は自分の城が持てたことで当然のごとく喜び、張り切っていた。

だが、当時の戸田は駅がなく、病院へは京浜東北線西川口駅あるいは蕨駅からバスで来なければならなかった。末吉の経営的視点では、周囲にまだ田園風景が広がる戸田中央病院に、果たして患者が来てくれるのか心配もしていた。隆俊は、患者に信頼してもらえる医療を提供し続ければ大丈夫と周囲に話してはいたものの、父の言うことももっともで、内心不安でドキドキの日々がしばらく続いていたのである。

病院は、24時間の診療体制はもちろんのこと、当時の戸田町には消防署がなかったため、町からの依頼で民間病院でありながら救急車を運用した。「5311」という救急受付電話番号を与えられる一方、病院専用の救急車を購入。救急隊員も自前で要請し、地域の救急医療を担った。

男子職員は全員救急隊に入り点呼、報告、訓練(病院の周囲を2キロ走る)を励行し、救急患者に備えた。医療スタッフはもちろん、医事系のスタッフも、病院一丸となり「愛し愛される病院」を目指して、頑張った。(敬称略)

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写真=戸田中央病院が開院。家族らと共に写真に写る隆俊(右)

=火曜日に掲載=