戸田市名誉市民第1号でもある戸田中央医科グループ創設者・中村隆俊会長。


その半生について紹介する連載が8月1日付埼玉新聞で始まりました。


許可をいただき、紹介させていただきます。


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朝雲流れて金色に照り

戸田中央医科グループ創設者中村隆俊の半生 【第1話】


病弱の神童は医者を志した



 戸田中央医科グループ(TMG)は中村隆俊(89)が1962 (昭和37)年、戸田町(現戸田市)に戸田中央病院を創設して以来、埼玉県を中心に関東一円に28病院、6介護老人保健施設など計114カ所の関連事業所を保有する巨大医療グループに成長した。中村氏は昨秋、戸田市の医療・介護・保健などの分野で多大な貢献をしたことから同市名誉市民第1号として顕彰され、このほど優れた経営手腕と地域貢献が認められて県から渋沢栄一賞を授与された。今日、グループが創立55周年を迎える中村氏の、地域医療にかけた半生をたどる。


 中村隆俊は、27 (昭和2)年10月25日、北海道瀬棚郡瀬棚町で、中村末吉とヨシノとの間に、3人の姉と1人の兄に次ぐ5番目の息子として生まれた。名前はよく似ていた姉の俊子の一字をもらってつけられた。その後、隆俊の後に男の子が生まれ、男子も3姉妹になった。兄は哲夫、弟は秀夫。後に周囲から「中村三兄弟」と言われるようになる。


 実家は、中村商店という雑穀商を営んでいた。父は、小樽商業高校を4年で中退し家業を継いだ。北海道で有数の雑穀商で、暮らし向きは楽だった。


 瀬棚町は、北海道道南の渡島半島中央部の日本海に面した港町で、後志利別川の河口で奥尻島への玄関口。照明の由来は、アイヌ語の「セタルペシュナイ」(犬が泳ぎ渡る川)が略されたセタナイから来ていると言われている。


 兄も弟も体は丈夫で相撲が強く元気な姉妹だったが、隆俊は病弱で月に一度は熱を出し学校休んでいた。それもあって勉強はよくする子供だった。北桧山尋常高等小学校では、いつも試験は満点で成績がトップだったので、神童と言われていた。


 その小学校で、能代毅と言う先生に出会った。能代先生は情熱的な教育者で、人を育てると言うことに心血を注いでいた。病弱だった隆俊のことを将来大物になると言って励ましてくれた。隆俊は後に生まれた息子に、能代先生の名をもらい毅と命名した。能代先生のような立派な人物になってもらいたいという思いを込めたものである。


 ある時、隆俊は学校で勉強中に高熱を出し倒れてしまった。学校医の平医院に運び込まれた。その時、病弱の自分を嘆き、思い余って「大人になるまで生きられますか」と聞いてしまった。すると平義博先生から、母親の言うとおりに栄養のあるもの食べなさいと指導された。そうすれば、人並みに長生きできると太鼓判を押してくれた。そして、「医者になってみろ!」とも言われたのである。平先生は、医者は周りの人を助けることができる尊い仕事だと説いた。まだ漠としたものだったが、「医者になる」という目標が、この時できたのである。それ以来、隆俊は勉強にもいっそう励むことができた。

ところで、平先生に言われたものだから、母親は毎日弟の秀夫に、近くのコイの養殖所にコイを求めに行かせ、隆俊にコイの生き血を飲ませてくれた。隆俊は食事の好き嫌いをなくし苦手を克服することによって、普通の体になっていった。家族の愛と能代先生、平先生の指導のおかげで今日の自分があるのだと、隆俊は思っている。


(敬称略)


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(埼玉新聞2017年8月1日17面)