以下、私が参加している市民活動団体の会報誌に寄稿した内容です。
長文ですが、ご笑覧いただけるとうれしいです。


 先月起こった秋葉原での無差別殺人事件は衝撃的でした(凶行によって尊い命を落とされた方々のご冥福をお祈り申し上げます)。ナイフを振りかざして次々に通行人を襲った犯人も異常なら、ニュースで流された、死傷者が地面に横たわりまさに救命活動が行われている周りでその様子を携帯カメラをかざしてパシャパシャ写真をとる人たちの姿も異様でした。何かがおかしい。人として壊れている。そう思わざるを得ない光景でした。

 宗派を問わずに貧しいもののために生涯を捧げた故マザー・テレサは、かつて「愛という言葉の反対語は、無関心です。無関心であるということは、愛がないということと同じです」「この世の最大の不幸は病や貧しさではなく、自分は誰からも必要されていないと感じることです」という言葉を残しましたが、秋葉原事件の犯人は、取り調べで「誰からも無視された(と思い込んだ)」ことを犯行の動機のひとつにあげていました。誰からも無視される、誰とも「関係ない」自分、もちろんこの凶行では犯人が一番悪いことは間違いないのですが、「無関心な状態」、それは人として堪え難い感覚であったことは想像に難くありません。そして犯人は凶行でもって、世の中の人に関心を持たれることを目指したのかもしれません。また、犯行が行われた路上で被害者が苦しんでいるのにもかかわらず平気で写真を写していた人たちも「倒れている人たちは自分とは関係ない」と思えるからできた行為だったのかもしれません。

 ところで、今年続編もヒットした「ALLWAYS 三丁目の夕日」に代表される昭和レトロブームには単に古き良き時代を懐かしむ以上のものがあるように思えます。昭和は、戦争、敗戦の混乱、高度成長期等を経験した激動の時代でしたが、反面、人と人とのつながりがまだ濃厚にあった時代でした。それがいつしか現在、「他人は関係ない」とばっさり切れる時代になったその原因は決して個々人だけに求められるものではないでしょう。成長を遂げるために、効率や結果を優先する教育・政府の方針が根本にあったのではないのでしょうか。人間には間違いなく能力の違いや差があります。しかし、その能力を学力や生産性・稼ぐ力などに限定し「能力のあるものが勝ち、劣る者は負け」と考えるか、能力の多様性を前提に「能力は互いに足らざるところを補うことを良しとする」と考えるかで、その後の人間形成に大きな違いをもたらします。今、私たちの身の回りに現れている「関係ない」に起因する現象をきっかけに、逆にコミュニティづくりや人とのつながりを取り戻さなくてはと考える人が増加する傾向は、人が危機意識を無意識のうちに感じ始めているからにほかなりません。また、現在は経済も停滞してますが、「能力の多様性と相補性を重視すること」が新しい経済成長につながるきっかけになるかもしれません。

 時代は大きな転換期に差し掛かっているように思います。かつて池田勇人首相は「所得倍増」というビジョンを掲げ、経済重視を方針として人を分別することで高度経済成長路線を突き進みました。今後の政治リーダーは、やはり従来のの流れにそった想いなのか、それとも「人と人とのつながりを大切にする」想いなのか等、どんなビジョンを掲げ何を方針として国政を運営し、今後の人づくりや暮らしづくりを進めていきたいのか、国民に向かってわかりやすい言葉で繰り返し語ってほしいと思います。当代の政権は年金問題や後期高齢者医療問題等への対処で「人を大切にしない『関係ない』路線」と思われているところが支持率低下の要因に思われて仕方ありません。


 … お読みいただき、ありがとうございました。