私は、埼玉県内で、知事や市町村長、国政・県・市町村議員との市民対話集会や公開討論会を、政治的に不偏不党の立場で開催する「いしん埼玉市民の会」という市民活動に参加していますが(昨年9月に神保国男・戸田市長との対話集会、今年2月に上田清司・埼玉県知事との対話集会を開催)、そこの会報誌の巻頭言に年3回寄稿しています。

前回は、「政治家は『手段』よりまず『ビジョン』を語れ!」と題した意見を出しましたが、今回「天は自ら助く者を助く」という意見を書きました。

情報が次から次へともたらされる情報過多の時代ではありますが、そんな中で暮らしと政治の関係を考える時に、頭の片隅に入れておいていただきたい視点について書いています。まだ十分に推敲ができていない拙文ですが、ご笑覧いただければ幸いです。

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天は自ら助く者を助く

 国政に関する問題に批判的な関心が集まりだすと、なぜか偶然にもタイミング良く話題を集める人の逮捕事件が起きて、報道の中心がそちらに移るという不思議な国・日本。イージス艦衝突事故、ガソリン税の暫定税率や道路特定財源問題から明るみになった国土交通省の天下りや税金の無駄な使われ方問題、今や骨抜きとも言われる国家公務員改革や行政改革、沖縄在留米軍兵士による事件の多発問題などが、サイパンにおける三浦氏(1981年ロス疑惑銃撃事件)逮捕によって、いっきに報道ニュースの中心から外れてしまったような感があるのも、今に始まったことではありません。

 世はまさに情報化時代。テレビや新聞に始まり、インターネットを媒体にいろんな情報が次から次へと流されて、それに目を奪われていると少し前のことを忘れそうです。2代前の首相である小泉さんがいわゆる「郵政解散」で衆議院で大勝したのは3年前、そして先代の安倍さんが退陣し福田政権が誕生したのが昨年9月です。小泉時代からそんなにたってないはずなのに、福田政権は族議員や官僚に重きを置くような動きをみせ、自民党のイメージは、小泉「構造改革路線」の頃とは異質なものに変わった感があります。特に対中姿勢は小泉政権とは大きく異なるようで、3月7日の産経朝刊記事によりますと、最近大きな問題となっている中国製ギョーザ中毒事件について中国当局が2月28日に自国での毒物混入を否定した際、福田首相は「中国は非常に前向きだ。原因をしっかりと調査し、責任をはっきりさせたいという気持ちは十分に持っていると思う」と、中国側の不誠実な対応を批判するどころか逆に評価する発言をしたそうで、その融和姿勢が背景となり日本政府が資料提出を求めた約20項目に対する中国側の回答がほぼ「ゼロ回答」となったとのこと。人が代わればここまで変わるかというくらい、短期間の間にその姿勢は変わってしまいました。

 ところで、私たちの埼玉県に目を転じてみると、かつての利権まみれの政治状況から市長が交代したことによって市政の透明化・公正化が進んだ戸田市のような地域もあれば、今なお変わりきれずに政治の私物化や不正に苦しんでいる地域もあるようです。考えてみれば、私たちが現在感じている住み心地は、最初から今のようなものだったわけでなく、今の状況を創ってこられた先人の方々のご苦労があったからこそ出来上がったものなのです。そして、はっきりと言えることは「人が創ってきたものは人によって変わってしまうものである」ということです。特に、首長と言われる知事や市町村長は行政のトップであり、議員は私たちの暮らしに大きく作用する様々な仕組みや制度(法律・条例)を議決する人たちですので、どんな人が首長や議員になるかで私たちの地域での暮らし感はあっという間に変わります。私たちにできることは、政治の世界に自ら出るか、選ぶかであり、出るなら無私・公僕の精神、選ぶのなら政治に携わる人を目利きすることが大切でしょう。

 いつ次の衆議院選挙があるかわかりませんが、世論調査をみる限りなんとなく民主党に風が吹いているような感じもあります。しかし、政権交代が政治状況を良い方向に変えるとは限りません。勿論、政官業の癒着構造を破壊するきっかけになるかもしれませんが、それでも私たちが目を向けるべきは党でなく人でしょう。そして、私たちの会が行っているような対話集会や公開討論会などを通じてその人となりを実際に観て感じるとともに、その人が継続的に主張しやってきたことからその人を目利きすることが重要だと思います。「変わらない・関係ない」と人任せにしたり、人でなく政党で選んだりしていたら、人の都合によって、一部の人には居心地がよいけれど人任せにした人にとっては暮らしにくい、そんな流れにあっという間に変わります。「天は自ら助く者を助く」の言葉のように、結局、私たちの暮らしを良くするのは、私たち自身の主体的な関わりなのです。